福岡『生物と無生物の間』

夕食。
生化学者が実験室でどんなことを考えるか(/考えることになるか/考えなければならないか)を

実験という活動 と関係づけてというよりは、ごく概括的にではあるが

教えてくれるところには、啓蒙書としての意義があると思った。
あとロザリンド・フランクリンの話は泣けるので読んだ方がいいと思う。<誰か
が。
どうもこの著者のひとは、「修辞」というのを、「本筋に関係ないもったいぶった寄り道を すごい勢いで容赦なくすること」だと考えているようで、それにつきあわされる苛々感は上記のメリットを凌駕するとまではいわないまでも拮抗するというかむしろ どぉ?的閉口。(←親爺ギャグ)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)


それはさておき。

  • 秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。

(‥) エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、静物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
 私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dynamic equilibrium である。海辺に立つ砂の城は実体としてそこに存在するのではなく、流れが作り出す効果としてそこにある動的な何かである。私は先にこう書いた。その何かとはすなわち平衡ということである。
 自己複製するものとして[かつては]定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。

[p.166-167]

Ω ΩΩ<な、なんだってー





  ,o/ ∠せんせー! これ、平衡 じゃなくて 定常* じゃないっすか?
  lミiニ!
あとこれだと「台風」とかも「生物」だってことになりませんか。
* (Nonequilibrium) Steady States。つーか探せば「平衡」が成立してるポイントは必ずあるので、「平衡」でもいいけどさ。でも、「(化学)平衡」という概念にはそれが「動的」であることがすでに含意されているので──言いかえると、すべての化学平衡は必ず「動的」であるので──「動的平衡」といういい方は冗長であるし**、ましてやこの著者のひとのように「なんか深そうな意味」を担わせて使えるような言葉ではあるまいよ。
** ただし「冗長なことは言ってはいけない」ということはない。念のため。(平衡状態について、それが「動的」であることを強調したいことはあるからね。)


なお これからこのテのひとのことを 「動的」さん♪ と呼ぼう。といま決めた。

a.k.a 「実体ではなく」さん♪