(20130731)鷲田清一「《臨床》というメタファー」
《臨床》の場でメチエとして培われてきたものに哲学が学ぼうとするとき、《臨床》というメタファーに託されるものの第一は、床(クリネー)に臥している人のところへ出向く医療者のわざ(クリニケー)という、そのギリシャ語源にある。[62]
某所で、「臨床哲学だの臨床社会学だのにおける《ベッド》に相当するものはなんですか」という質問をしたところ、「ベッド関係ないだろうアホかお前」(大意)とバカにされたことをふと思い出しました。
(20130731)松葉祥一「現象学者は普遍的真理の夢を見るか:メルロ=ポンティの「事実的普遍性」」
Schwandt (2007) は、定量研究と質的研究は、その一般化の方法が異なるのだと述べている。すなわち、量的研究が「法則定率的一般化(normathetic generalisation)」を行うのに対して、質的研究は「個性記述的一般化(idiographic generalisation)」を行うのだと言う。[138]
見ろよこれ。19世紀の本じゃないんだぜ? 2007年の本なんだぜ? 著者、生きてるんだぜ?
質的研究の哲学的考察の前に、量的研究の哲学的考察したほうが近道だと思うわ。
ちなみにここは、論文著者自身の考えを述べた所ではありません。
- 江藤(1995)が文献リストに載ってない。
(20130731)S・P・トーマス「メルロ=ポンティのレンズを通して:看護研究への現象学的アプローチを進展させる」
著者は『患者の声を聞く―現象学的アプローチによる看護の研究と実践 (看護学名著シリーズ)』の人。
計量さんが現象学に改心した話。
(20130731)J・ウリ「看護師の精神療法への参加」
50年代末におこなわれたコロックの記録。