涜書:森『ハイエクのウィーン』

ようやく読んだ。
良書なのではないでしょうか。あいかわらず文章(中略)だけど。

フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン―ネオ・リベラリズムの構想とその時代

フリードリヒ・フォン・ハイエクのウィーン―ネオ・リベラリズムの構想とその時代

経済学のはなしを いっさいの代数表現なしに文章だけでやるので読みにくいことこのうえない。が、これがハイエク自身のやりかただったようなので 仕方ないのか。
「資本」という言葉は、なにかを作るのに「使えるもの」を「貨幣で一元的に」換算したものをさすらしい。ことがわかり、勉強になった。

「使えるもの」が使える為の条件──「投資」とか──まで含めて考えると、これは「物」ではない、
言いかえると、資本が資本である為にはそれを再生産する過程の中にないといけない
ということらしい。異なるものの反復ね♪

行為とリスクという現代的な課題について、シュッツはすでにこの時代*に主題化する装置を準備していた(‥)45

45 このことは、Luhmann (1991**)の精緻に体系化した業績以降、社会学の基本構成が大幅に書き換えられることになったことと重ねあわせてみる必要がある。ハイエクの「経済学と知識」とそれに関連した業績は、1950年代以降の経済学のポートフォリオ分析や情報経済学への芽となったことを考えると、社会学の「主潮流」はあまりにも安穏とほぼ20世紀の大半をリスク計算なしに、リスクを主題化してこなかったことがわかる。
* 1936年。ハイエクへの手紙。
** 『リスクの社会学

なんだこの異様に高い評価はwww。


なおルーマンに、「精緻に体系化された業績」などというものはありません。