第二回@本郷。
第3章「産婆、仕立屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存症者」
第4章「実践共同体における正統的周辺参加」の前半。
http://socio-logic.jp/events/201606_SituatedLearning.php
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第二回@本郷。
第3章「産婆、仕立屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存症者」
第4章「実践共同体における正統的周辺参加」の前半。
http://socio-logic.jp/events/201606_SituatedLearning.php
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読書会で教えていただいた文献。
- 1. はじめに
- 2. フレーム問題
- 3. 状況に埋め込まれた学習
- 4. 共同存在としての現存在
- 5. 世人あるいは透明性をめぐる両義性
- (1) 順応性と順応主義
- (2) 可視化と不可視化の弁証法
- 6. おわりに
著者の最初の主張は、レイヴ&ウェンガーの議論は──「状況」という語の援用も含め──ドレイファスのハイデガー解釈の影響下にある、というもの。レイヴ&ウェンガーがドレイファスを読んでいないはずはないという点でも、主張内容の点でも、これは話としては如何にもありそうなことだと思う。
しかし、著者は そう述べてよいテクスト上の根拠を何も挙げてないですな。
著者のもう一つの主張は、
というもの。だけど、「正統的周辺的参加にも〈頽落〉が伴うだろう」というのは、レイヴ&ウェンガーにとって何ら致命的な批判のようには聞こえないですよね。
誰かこれ複写してくれまいか。