近刊『メディアの教育学』

ルーマン・フォーラムへのタレコミねた。5000円‥‥高いよ....。

子供との「触れ合い」=直接的接触をめざして強迫的に反復される数々の教育論。それが不毛に終わるのは、ある不透明な媒質=「メディア」こそが教育を可能にしている基盤だからではないか。アニメ、ケータイから、教育思想の「ポストモダン」後まで、現代日本の教育現実と教育言説を異貌の目で描き出す
担当編集者から

たとえば「臨床」という用語や,「子どもとの触れ合い」「一人ひとりの声に耳をかたむけ」というような,教育(学)で延々と繰り返される定型句の数々.なぜ教育学はこうした“リアリティ”や“直接性”を渇望しつづけているのか.それは「教育/教育学」という言説の構造自体が,実はこうした直接性を望み得ないところではじめて成立する言説の装置だったからではないのか…….現代日本の教育をめぐる言説の構造(あるいは私たちの内なる「教育」という思い込み)自体に,ここまでするどく切り込んだ本を,私は知りません.そして,この本には,次の教育(学)を組みなおす希望がちょっとだけ,隠されています.