お詫び

こんなやりとりをした手前、マクロボウロス論文を、少し丁寧に(=昼食時間まるまる30分かけて)ゆっくりと再読してみた所:

マクロポウロス論文が、犯罪的に激しく ワケワカランのですが? これは執筆者のせいですか? 訳者さんのせいですか? (それとも両方?)

と書きましたが、それほどでもありませんでした。何を書いてあるのかは おおむね理解できました。
謹んで関係者各位にお詫び申し上げますとともに、上記発言を撤回させていただきます。
訳者さんはたぶん、日本語が少し不得意なだけなんだと思います。

内容が「激しくわけわからん」と思ってしまったのは、つまるところあんまたいしたこといってない*論文なのに、読者(つまり私のことですが)の側で「なんか立派なことを言っているに違いない」と激しく余計な読み込みをしていたせいであることが判明いたしました。
* 「デリダさんとルーマンさんは、古いヨーロッパの存在論的-神学的-論理学的*1形而上学をダチコウツクしようとしている点では共通するがデリダさんは哲学者で社会(学)への目配りが足りないのでそこをルーマンさんで「おぎなって」あげるとデリダさんの述べていることのもっともらしさはもっと増えますよ」云々、というような。──「どうよ?」と聞かれれば「まぁそういうことあるかわかりませんな」としか答えようのない、つまりは「だったらなんだっつーのso what?」と論者を小一時間問いつめたくなりもする論文。
つことは、デリダルーマンの違いは「哲学者と社会学者の違い」に等しいw、と あなたは考えてるんですね?──と、ついでに問いただしたくもなるがどうか。