ポンチ研究

夕食。ざくざくと大雑把にみんな目を通す。

2005年大会大会のシンポジウム「デリダメルロ=ポンティ」まとめ、とか。http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20050911

行きませんでした。

メルロ=ポンティ研究』第11号

  1. 大滝結「無意識の位相」
  2. 原和之「「枠」の効果──ラカンにおける1960年代の視覚装置」
  3. 加賀野井秀一現象学の極限にあるメルロ=ポンティデリダ
  4. 加國尚志「彼に触れないこと、メルロ=ポンティ──デリダメルロ=ポンティ読解をめぐって」
  5. 高橋綾「幼児の身体知覚──身体像と間身体性」
  6. 榊原達哉「屋良朝彦『メルロ=ポンティとレヴィナス―他者への覚醒』」

1. フロイト「否定」isbn:4409310038 / isbn:4480082492 を読むポンティ。ルーマンの「非知」ネタは──社会学的な出自はマートン付近にあるんだろうけど──、内容的にはポンティもネタ元になってるんだろうな、という気がしている。(ルーマンがこのネタで*ポンティの名前を出すことはないけれども。) ...という観点からなかなか興味深し。

* ルーマンのテクストに登場するのは「裂開」とかのほう。

3. フッ君の『幾何学の起源』をめぐる二つの読解(isbn:9784588008153 / isbn:9784791760343)を比較してみたよ、という話。勉強になった。これ↓は泣ける:

[ポンティ『起源』講義の]翻訳工程にはかなりの苦労があった。なぜなら初版には、私たちの長年にわたるメルロ=ポンティ研究においても、ついぞお目にかかったことのないような表現が、随所に見受けられたからである。たとえば、「物的世界monde chosique」や「超越論的振替virement transcendantale」などがその好例であろう。ところが[遺稿刊行の翌年に出版社から送られてきた]訂正稿のおかげで、これが単なるトランスクリプションのミスであったということが発覚した。前者は「物理的世界monde physique」、後者は「真に超越論的vraiment transcendantale」を読み違えていただけなのだ。[p.45]

4. デリダはナンシー論isbn:9784791762576 のなかでポンティを出汁にナンシーの卓越化をやってるけどどうよそれ。最初期には「弁証法」という語を自分の言葉として用いていたデリダが、のちにそれを捨てて「差異」に訴えるようになったのはなぜですか、という話。勉強になった。ところで論文をこういう引用で〆るのはいかがなものか。

ここで結論づけること、つまりこの手の範例性が──それが含むすべてのものとともに──われわれに着想を与えてきたさまざまな留保で議論を再び閉じること、それは不正で、暴力的だろうし、彼の時代の、われわれの時代の思想に道を開くためになされた、あれほど力強く、あれほど生き生きしたページのなかにまだ開かれたままで作業中のままになっているものにふさわしくないだろう。asin:4791762576

6. ユキビダスか....。誤植かとおもったら最後にもう一度でてきた。




講演会のチラシが挟まっていたよ。「通訳あり」だそうです。
http://socinfo.g.hatena.ne.jp/keyword/2007-10-19

メルロ=ポンティ生誕100年記念 第2回講演会
フレデリック・ヴォルムス「直感と反省のあいだ。メルロ=ポンティ現象学における批判の意味」

  • 2007年10月19日(金) 16:00〜18:00
  • 関西日仏会館(075-761-2105)

Frederic Worms 氏は、ベルクソン研究者として広く知られていますが、20世紀のフランス哲学全般を視野に入れた研究や、社会哲学的研究でも知られています。今回は、『フッサール『幾何学の起源』講義―付・メルロ=ポンティ現象学の現在 (叢書・ウニベルシタス)』に収められた表記論文(原題:Entre intuition et reflexion. Le sens de la critique dans la phenomenologie de Merleau-Ponty)にもとづいてご発表いただきます。

連絡先: 松葉祥一 matsuba[atmark]tr.kobe-ccn.ac.jp


ベルクソンシンポのための来日の流れで、ということなんでしょうな。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sug/index.html