- 作者: 山本貴光,吉川浩満
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2004/06/01
- メディア: 単行本
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八雲さんからさらなるお返事をいただく。
レスポンスにつかえるいとまがなくまことに申し訳ない限りですが、ひとまずスレ一覧:
- http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040623
- http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20040623#p2
- http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040624#1088053279
- http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20040702
- http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040703#1088783072
- http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20040708
せめて10日までに、もう一度くらいはなんか書きたいと思っております。(←弱気)
って書いちゃったし。「なんか」書きます。
でも「出版記念イベント」は、本日夕刻だし、今頃書いても、もう読んでる暇ないよな、って話ですがともかくも。
本来であれば、批評者の側でおこなうべき作業を、被評者の側でやっていただくことになってしまい、あいすみません。 下記の点、まとめていただいた通りです。
[略]「ある範囲の人びと全員を拘束してしまうような事柄を決めること」という事態をある言葉で名指すとき、その言葉の選択についてどのような理由が述べられたなら、contractioさんによる疑問を回避することができるだろうか?
ひとつは、その選択が十分説得的であるほどに検討を加えること*2。もうひとつは、他にありうる選択肢がなぜこの文脈で適切ではないかを明示すること、などがあるでしょうか。
ここからふたたびひるがえると、それにしても「政治」という言葉には、諸学や諸現場においてすでにさまざまな使い方(意味づけ)の伝統があるゆえに、ことさら「政治」という言葉を選択するからにはそれなりの理由の提示が必要──というかそうしないと、なぜ「政治」という言葉を使う必要があるのかがわからないままになる──だ、ということでしょうか。
そういうことなのでございました*。
そして、なにしろそういうことなので、このままでは、こうした↑「せいぜい言葉の問題」にしかみえないようなことをいって なにが楽しいのかあなたわ? という(ごもっともな)反問を招来してしまうだろうと予想され、「さて困ったな」と思っていたところだったのでした。とまれ。ここまでしていただいたからには、やはりせめて「もう一歩」位は、足を前に出さないわけにはいきませぬ。もうすこしだけ頑張ってみたいところ。
と、その前に。
試しに、著者お二人が「なぜ「政治〜倫理」という言葉を使うのか」について、私の側での「憶測=疑い」を、書いておいてみます(ひょっとしたら、「そんなことはない!」とか「そうかもしれない」とかというリアクションを介して、話をさらに展開できるかもしれないと期待して)。
この事態=事情についての、私が思いつく、もっともシンプルな「憶測」は、
これは、アリストテレスに呪縛されている、ということだ。
=「クラシカルに哲学的」な区分を使用している、ということだ。
というものです。ここで、「アリストテレス的=哲学的な区分」と呼んでいるのは、
- 1)<存在/思惟>という区別を主導的な区別として用い、
- 2)両者を関係づける位置に、「論理」や「行為(/実践)」などなどといった概念をおき、
- 3)特に後者について、それを<倫理/政治>に区別する
- 4)前者は、<存在/思惟>を分割したり関係づけたり、といった整序に用いられる道具(オルガノン)だとされる
という手続きで得られる、
★〈〈存在/思惟〉/〈倫理/政治〉〉
という区分のことです。
第4章は「政治的」な話題を扱っているわけですが──ここで決め台詞を述べてミエを切っているのだろう、と読むことが出来る場所、つまり──4章末尾[p.281]で、お二人は、「政治的」と「倫理的」を重ねた仕方で使っており、また、4章における「政治的」な話題への場面転換を予告する箇所[p.161]では、「倫理的」という言葉を使っています。これを見ると私には、4章が ★という領域区分にキッチリとフィットしているようにみえるわけですが、さらにそこから次のことも推察されるのでした:
- 「政治的〜倫理的」だとされる領域に あれこれ が詰め込まれるのは、★を前提にしているからではないか。
- 「倫理(的なもの)」は、
一方では「政治(的なもの)」と互換的に使われているが、
他方では「政治(的なもの)」よりもさらにはるかに「超越的」な扱いを受けているのではないか。
などなど。
さて、「憶測」はここまで、としまして。