『心脳問題』発刊イベント@四谷#に行ってきた【番外編】

ASIN:4255002770 出版記念イベント俺様メモ2。



id:chocolat_chaudさんのご質問、

酒井さんが依拠していると目されるニクラス・ルーマンのシステム理論は、[命題【S】*のネタ元だといえるであろう]いわゆる「ポストモダンの思想家」たちに、その保守性を批判されることがあると思います。これについて、酒井さんご自身はどのように思いますか?(大意)

* 上掲書第4章で依拠されている「社会は【規律型】から【コントロール型】に遷移してるよね」テーゼ(© ジル・ドゥルーズ)。

について:

  • 会場では“「そうですか」と思います。”という「手短」ヴァージョンでしかお答えできませんでしたので、出不ログにて、またあらためてフォローさせていただきたいと思います。が、現時点では、正直なところ、「それでこれは、何が聞きたくて*1してる質問なの?」というのがよくわからないままでいます。ベタに答えるのは難しい。
    【追記】20040712 21:12 ご参考リンク:google:ルーマン+保守的
    こんなのがヒットする罠:http://thought.ne.jp/luhmann/forum/onluhmann.html
  • そこで、話をすすめる前提として、質問を2つさせてください。

1)上記の問いを発するコンテクストにおける「保守的」の反対概念(および関連・類縁概念)として、しょこらしょさんご自身*は、どんなものを想定していますか?
2)しょこらしょさんが、「ルーマンは保守的だ」という評価を下す〔論者の見解を参照する〕のは:

  • a)この理論について、「それは総体として保守的である」という仕方で評価ができる、と想定した上のことなのか、それとも、
  • b)或る特定の論点についてこの理論に基づいて評価した場合、「保守的な見解」が生じるはずだ、という見通し(あるいは、そのような主張をしている特定の論者の具体的な論述)をもとに述べているのか。
    • 後者(b)の場合、想定されている論点および論述(あるいは見通し)はどういうものでしょうか。
    • もしも前者(a)であるとしたら──。

もしも前者(a)であるとしたら、おそらく(少なくとも私にとって)「そうとうに難しいお話」をされていることになるような気がします。さらにいろいろと考えねばならないことが出てきそう。

「ある理論Aは、総体として保守的である」という形式をもつ言明でもって、なにか有意味**な(あるいは「面白い」)ことがいえるように、私には──さしあたり「直感的」にいって──思えないので...。(ひょっとするといえるのかもしれません。ただ、それがどんなことなのだか、私には想像がつかないので、その点については しょこらしょさんのご教示を乞いたいと思う次第です。)
まずはこんなところで。


* ちなみに私自身についていえば、「保守的」という言葉でまず真っ先に想起するのは、フランス革命を先に<進める/進めない>という区別なんですが。でも、いまの話には、ぜんぜん関係ないですよねw。たぶん。
** そうでもないか。

とか

とか

  • 酒井泰斗は保守的だ***

いう命題は すべて****有意味なものに聞こえるし、それどころかすべて、「ほとんど同意」してもよいもののように聞こえるもんな。でも/だから、「問題」は、それが「面白い」と思える時があるとすれば、それはどんなときか、なんですよ。ぶつぶつ....。(ひとりごと)
*** 私が自分のことを「保守的だ」と考えているのは(たとえば)次の点において、です。すなわち、私が、私の謂う*3デカルト保守主義の方針」になるべく従おうと努めている点、これであります*4。ここで私の謂う*5デカルト保守主義の方針」とは、次のようなものです:

  • <わか(ってい)ること>と<わからない(or わかっていない)こと>はなるべくクリアに区別しましょう。
    • <わか(ってい)ること>は、なるべくクリアに述べましょう。
    • <わからない(or わかっていない)>難しいことは、小分けにして解決にあたりましょう。
  • クリアにできない難しいことについては、習慣に従いましょう。

**** ここで、「理論」と「人」の違いを問題にしているわけでは(もちろん)ありません。念のため。



【追記】20040713 10:39

*1:あるいは「何が気に食わ」なくてw(?)

*2:© デイヴィッド・ブルア

*3:© 西田幾多郎宮台真司 et al.

*4:© 渡辺二郎

*5:© 西田幾多郎宮台真司 et al.