涜書:橘木編『封印される不平等』

http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040728#1090982782
了。

封印される不平等

封印される不平等

前半が4人の対談。後半が編者の論文。
俊樹たんがしゃべってるとこだけ立ち読みすればよいような。


「社会に出て成功するのに重要なのはなんだと思いますか」という質問に対し、日本の若者は──他の国と比較して著しく──「運やチャンス」と答える人の比率が高かった(@「世界青年意識調査」)、というネタを巡って:

  • 斉藤 機会が平等だという前提だから運と言えるんじゃないでしょうか。
  • 橘木 じゃ、国民は今、機会は平等だと信じているわけですか。
  • 佐藤 そうではないと思います。苅谷さんが指摘されたように、なぜ自分が今社会からはじき出されているのかを、そもそも見たくないのではないでしょうか。

◆運だと思わないとやっていけない

  • 佐藤 先ほど社会の「上」のほうにいる人たちがなぜ機会の不平等問題を避けたがるのか、について話しましたが、もう一つ、「下」のほうの人たち、今の社会の流れにうまく乗れない人たちにも、別の形でこの不平等の問題を見たくなくさせる力が働いているように思います。社会学者の宮台真司さんが以前「学生の階層性(学生の中での上下みたいなこと)が何によって決まるか」について研究したことがあって、そこで彼は対人コミュニケーション能力に注目しています。簡単にいえば、1980年代後半ぐらいから、対人コミュニケーション能力が若者層における良い/悪い、上/下をわける尺度になっているのではないか、という仮説を立てた。対人コミュニケーション能力は客観的に測定するのが難しいし、それがさらに別の何かによって決まっている可能性ももちろんありますが、少なくとも日常的な生活感覚の上ではかなり的を射ている仮説ではないかと私は思っています。
     この対人コミュニケーション能力は、不平等という観点から見ると、きわめてやっかいな性質を持っています。自分がいじめられた、不当に恵まれなかったと感じると、この能力は損なわれやすい。不当に何かを奪われたという自己認識を持つと、強い自己不安を抱えたり、他人に対する攻撃性を持ってしまう。優しさとか、人当たりのよさを身につけにくいのです。だから、優しさや人当たりのよさを重視する集団からは排除されやすい。今の若者言葉を使えば、とても「イタい人」として嫌がられ、人格的に評価されなくなるわけです。
     つまり、自分が何かを不当に奪われているとか、社会からはじき出されていると思うことが、それ自体で何かをさらに失ったり、はじき出される原因になってしまう。たとえ恵まれていないと感じても、それを他人のせいだ、社会のせいだと考えるより、運だと考えてしまうほうが、一人ひとりの人生設計としては合理的なんです。だから、構造的につぶされている人であればあるほど‥‥‥。
  • 斎藤 運だと思わないとやっていけない。
  • 佐藤 ええ、「もっと」やっていけなくなる。それが、構造的に不利な立場にある人まで含めて、運だ、チャンスだというふうに認識せざるをえないもう一つの理由だと思います。
     これはすごくやっかいな事態です。恵まれてきた人が本当に、対人コミュニケーション能力を持ちやすいとすれば、何か是正措置がとられないかぎり、対人コミュニケーション能力の高い人の多くは恵まれた環境に育った人になってしまう。「マネジメント力」みたいなものも環境によって左右されてしまうわけです。でも、それを環境のせいだと考えると、考えた当人はもっと不利な立場に追いやられる。だから、極力そう考えまいとする。そんなメカニズムが考えられるのではないでしょうか。[49-51頁]



【追記】20040812 10:11
「この本面白そう」と思った人は、天才俊樹たんの次の本も読んでみましょう(読んでなければ)。
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

実績主義や自由競争の市場社会への転換が声高に叫ばれている。だがその「実績」は本当に本人の力によるものか。筆者は社会調査の解析から、専門職や企業の管理職につく知識エリートたちの階層相続が戦前以上に強まっていることを指摘。この「階級社会」化こそが企業や学校の現場から責任感を失わせ、無力感を生んだ現在の閉塞のゆえんとする。一億総中流の果てに日本が至った「階級社会」の実態を明かし、真の機会平等への途を示す。


  • 序 章 『お嬢さま』を探せ!
  • 第1章 平等のなかの疑惑:実績VS努力
  • 第2章 知識エリートは再生産される:階層社会の実態
  • 第3章 選抜社会の空洞化:粘土の足の巨人
  • 第4章 「総中流」の落日:自壊するシステム
  • 第5章 機会の平等社会への途:効率と公平
  • 終 章 やや長いあとがき

論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ)

論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ)

中流」中心社会は破綻したのか。エリートの責任とは。──2000年の論壇を席巻した「中流崩壊」論争。その必読論文を集めた本書は、21世紀を生き抜くための知のガイドとなろう。


ついでに。

00年代の格差ゲーム

00年代の格差ゲーム

<平等神話>の崩壊後──それはすでにはじまっている…『不平等社会日本』を超え、犀利な「言葉」が私たち自身の「欲望の現在形」をうつしだす。


  1. 大衆憎悪社会
  2. 階層の閉域、言葉の閉域
  3. 00年代の格差ゲーム
  4. 暴力の現在形
  5. 横断されるメディア