涜書:フーコー『主体の解釈学』

本日のランチ後半。

1982年1月6日の第一時限+第二時限。
「一日(分)の講義」を読み終わったとたんに、編者序文にあるサムーい光景が思い浮かんでしまう。

1975年、「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌の記者ジェラール・プティジャンは、講義の雰囲気を以下のように書き記している。
フーコーは、これから水の中にでも飛び込むかのごとく、溌刺として颯爽と教室に足を踏み入れる。人々を掻き分けて教壇にたどり着き、テープレコーダーを押しやって原稿を置く。上着を脱ぎ、灯りをつけて、トップ・スピードで講義を開始する。卓上の飾り鉢からわずかに立ち上る光だけが照らす教室のなか、近代文明への唯一の譲歩たるいくつかのスピーカーを通して、力強く効果的な声が響きわたる。三百の席を、五百人が身を寄せ合いながらわずかの隙もないほどに埋め尽くす。[‥] 午後7時15分。フーコーは講義を終える。学生たちは教壇へと走る。彼と言葉を交わすためにではなく、テープレコーダーを停めるために。質問はない。人込みのなかに、フーコーは唯一人残される。
そしてフーコーは、このことについて次のように語る。
「私が提示した問題について議論を交わす必要があるのです。ときには、たとえば講義の出来がよくなかったときなど、ほんの一つの質問によって全体が軌道修正されることにもなるでしょう。しかし、そうした質問が出ることは決してありません。フランスでは、集団の効果があらゆる実質的な議論を不可能にしてしまうのです。そして、フィードバックの手段がないために、講義は舞台上演のようなものになってしまいます。私と出席者との関係は、役者ないし軽業師と観客との関係のようなものでをす。そして講義を終えたとき、私には完全な孤独感が…」

こんな「教授生活」はいやだ。

学生*のみなさん、先生にはちゃんと質問してさしあげましょうね。人類皆サービス業。
* フーコーの講義聴いてたのは学生じゃないけど。