沼上『行為の経営学』

朝食。
asin:4561151265。 2、3、4章。

  • 第3章 法則定立的アプローチの進展──メカニズム解明とカヴァー法則モデル──
    • 1.事例研究法批判──表層的な変化の動因──
    • 2.システム観の単純化──存在論的仮定の変化──
    • 3.法則定立的アプローチ──カヴァー法則モデルとメカニズム解明モデル──
    • 4.行為システム記述の失脚
    • 5.普遍のカヴァー法則という信念
    • 6.要約
  • 第4章 経営学における普遍法則確立の可能性
    • 1.はじめに
    • 2.行為によって生成されるマクロ現象の規則性
    • 3.意図の上では合理的な行為と法則に支配された行動
      • (1) 法則に支配された行動
      • (2) 合理的な行為による再生産
    • 4.「普遍の法則」の確立可能性──ゲームの構造が既知の場合──
      • (1) 二重の解釈学
      • (2) 支配均衡が存在する場合──囚人のジレンマゲーム──
      • (3) 支配均衡の存在しない場合[1]──チキン・ゲーム──
      • (4) 支配均衡の存在しない場合[2]──調整ゲーム──
    • 5.経営学の実証研究が抱える問題──ゲームの構造がわからない場合──
    • 6.社会現象における規則性
    • 7.要約


こういう↓主張が登場するのかと予想してみたのだが。違った:

  1. 経営学の主流は「変数-被覆法則-モデル」だが、経営学には「行為-メカニズム-モデル」も必要であり、
  2. 実際に、経営学者は「無自覚に」どちらも使っているが、
  3. 方法論的に「自覚的に」、双方を相補的に用いることが必要だ

じゃぁなんなのか、というとよくわからない。
四章では、「社会科学においては法則定立は不可能だ」というのを そうとう一生懸命示そうとしている。で、そこでは、「被覆法則」モデルも「メカニズム・モデル」双方ともに、「そこで示される規則性は、法則ではない」(大意)ともいわれている。

まぁそりゃそうだ。問題は、その議論をなぜこんなにがんばってやっているのか、ということのほうだが。

すると、次に出てくる主張は、「マクロ変数間の規則性についてちゃんと考えるには、その背後にある行為プロセスや相互行為(?)などのメカニズムをみなけれだめだ」ということなのか。‥‥そう主張しているようにも読める。

おぉ!「ミクロ-マクロリンク」ですか!! ──だとすると、いよいよもってクルーグマン先生の指摘がかなりそのまま当てはまる事になりそうだけど。



どうも読んでいて混乱するのだが、「メカニズム」という言葉が、「法則」といういみでも「ミクロプロセス(?)」といういみでも使われているっぽい。


「行為」はこの章に至ってもやはりあいかわらずマジックワード

というよりも。古い(100年くらい前の)社会学の伝統に則って
  • 行動:客観的な観察が可能な活動
  • 行為:意識的な意図をもった活動
という語用が採用されている(4章(63))ので、正確には、「意図」(と「意識」)マジックワードか。