杉村 暢一(1966)「カッシーラーにおける象徴の概念」

ネットに落ちていたものを拾い読みする通勤時間。

  1. 杉村 暢一(1966)「カッシーラーにおける象徴の概念」高知大学学術研究報告 人文科学編 14, 25-37, 1966-03-30
    http://ci.nii.ac.jp/naid/120001357374
  2. 後藤 嘉也(2003)「生の存在論としての〈存在と時間〉:マールブルク時代のハイデガーにおける古代哲学解釈」北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編 54-1, Sep-2003
    http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/756
  3. 木村 裕之(2003)「N.ルーマンの歴史的意味論と二階の観察」年報人間科学 24-1, 1-16, 2003 大阪大学人間科学部社会学
    http://ci.nii.ac.jp/naid/120002851262



1.
50年前の日本語論文は100年前のドイツ人が書いたものの翻訳ものよりもたいてい難しい。


2.

むしろカッシーラーが信じて疑わない真理の永遠性なるものの正体を暴かなくてはならない。… カッシーラーは、客観的で絶対的で理性的な永遠の真理という伝統的真理観の、アリストテレスでいえば知恵の優位という伝統の虜である。

噛ませ犬扱いわろた。


3.

R・コゼレックやルーマンの歴史的意味論は、基本的にカッシーラーの意味論を発展させたものとして、その連続性の中にみることができる。[p.6]

このように言えるための根拠がどこにも書いてないのではないか。

  • ルーマンは 意味論をコゼレックにしたがって、「高度に一般化され、比較的状況に依存せずに用いることのできる意味」と定義している。また、さらに
  • 「整えられた意味論」 とはコミュニケーションによって保持する価値のあるものとして社会的に組み込まれた、使い方の制限された意味と定義している23
    したがって概念史 は「整えられた意味論」を扱っていることになる。

意味論は二つに分けられる。つまり、その

  • 整えられた意味論は、
  • 全体社会の一般的な意味論である「顕在化している意味の処理の形式」をさらに処理することで、

理論的にその方向性を調整する。

これにより展開されるのが、ルーマンのいう理念進化(Ideenevolution)である。

「整えられた意味論」が抽象的だからといって「基本的意味論」よりも実在性の程度が低いということではなく、むしろ、体験と行為において同様に実在的なのである24。したがって、その二つが同様に意味の構造変動を起こす可能性を持つ。ルーマンのいう「意味」およびそれを厳密に定義した概念は、行為や体験を引き出し、埋め込むという媒介としての機能があるから、それを考察することで社会構造の変動を観察することができるのである。近代は、自由、平等などの身分社会から移行する意味論とシステムに特殊な機能分化をもたらす意味論がともに働いていた。[p.9]

「社会構造」ってなんですか。それも どこにも書いてないのではないか。

そしてまた、「行為や体験」と「社会構造」との間にどういう関係があるのかも書いてない。(そこに関係がなければ、「意味」を考察しても「社会構造」を観察したことにはならないはずだが。)


ガーダマーエスポジトが出てきて二階の観察の話が始まる辺り以降は スペキュレーティヴ過ぎて もはや何をいっているのかわからない。



(この論文では ほぼ扱われていないが)「社会構造とゼマンティク」と言われる場合の社会構造は「全体社会の分化形式」のことであるとルーマンはいう。 ここにはいくつか問をたてることができる。

  • 1)なぜ分化の形式が「社会構造」と呼ばれるのか。
  • 2a)「ゲゼルシャフトの分化形式」は、社会諸システムの構造とどう関係するのか。
  • 2b)[結局は2aと同じことになるが]それは〈体験/行為〉とどう関係があるのか。


「ゼマンティク研究」なるものには不明確さがつきまとっているが、それは、このレベルで課題が整理されていないからではないかと思う。つまり、

  • a)語「ゼマンティク」が「何を」指しているのかはっきりしていないだけでなく、
  • b)前掲の (1) に (2) にも、明確な答えが与えられていない*

ように見え、だから、いったい このタイトルの下でなされる研究が「何をしていることになるのか」がさっぱりわからないのである。

* まぁ (1) は名称の問題だから、どうでもよいといえばいえるけれども。

言い換えると、

  • p) それらの研究が「何を」扱っているつもりなのかがわからない(!)し、それだけでなく、
  • q) それらの研究は、いったいどういう意味で「社会システムの」研究になっているのかがわからない。
まぁそれよりも大きな問題は、ルーマニ屋が 個別論点に関する・個別資料にもとづく ゼマンティーク研究を ちっともやってくれない、という点にまずあるようには思うが。

こうした疑問点がクリアされないままに研究をした場合、「ゼマンティク研究」は「似非概念史研究」になるだろう。

しかし思想史家の土俵で社会学者が戦って勝てるわけがなく、たとえ万一勝ったとしても嬉しくはなかろう。・・・ということはさておくとしても、

それ(=概念史的な素材を利用した研究)がなぜ「社会学である」と言えるのか、という問に、ゼマンティク研究は答えられるのでなければならない。


あと、「参照システムとして全体社会を選ぶ」というのは、ルーマンが自分にかけている制限であるが、この制限を取り払ったときに──つまり、参照システムとして別のものを選んだ場合に──議論(or「ゼマンティク研究」の課題)がどう変わるのか、という点もよくわからない。(もっとも、それが「よくわからない」理由自体は、上掲の理由と概ね同じものであろう。)


後者の論点に引っ掛けていうと、ここには少なくとも二つ、考えてよいはずのことがある。

  • Q1 参照システムは「全体社会」でなければならないのか。 [直前↑に書いたこと]
  • Q2 扱う資料は「概念史的」な──さらにいえば、歴史的な──素材でなければならないのか。


常識的に考えて、どちらも、答えは「否」であるように私には思われるのだが。