ウィトゲンシュタイン的科学社会学

岩波講座 現代思想〈10〉科学論

岩波講座 現代思想〈10〉科学論


マイケル・リンチのどこがどう偉いか、というのが、初学者にもよくわかる論文。



注の27は、タイプして書き写す価値がある(ので する)


[‥] ウィトゲンシュタインの議論を懐疑的パラドクスの提示とその解決というクリプキ流の路線で理解している ブルアASIN:4326152125 に対し、リンチは逆にウィトゲンシュタインの議論はそうした懐疑論を斥けるための背理法を構成しているのだとする。これはリンチ自身認めるように、ベイカー&ハッカーやシャンカーの解釈に近い27。 リンチによれば、この背理法のポイントは、プラトニズム的な対象として考えられた)規則が我々の行為を導く、あるいは引き起こす、という「疑似因果的描像(quasi-causal picture)」のおかしさを示すことにある。『哲学探究』題201節の「いかなる行為も規則に従うものとして理解することはできない」という部分は、こうした背理法において導出される不条理な結論(culmination of reductio ad absurdum)に相当する部分なのである。しかし、シャンカーによれば、クリプキはこの点を見落としてしまった。クリプキ、ブルアの懐疑主義的な読みはここから、規則だけではそれにしたがう行為の説明に不十分なのだという教訓を読み取り、それでは規則にさらに何を加えれば行為の説明が完結するのか、という問題をたててしまう。[p.154-5]

Scientific Practice Ordinary Action

Scientific Practice Ordinary Action

(27) G.P. Baker and P.M.S. Hacker, Skepticism, Rules and Language, Blackwell, 1984; isbn:0631147039
, G. P. Baker and P. M. S. Hacker, Wittgenstein, Rules Grammar and Necessity, Blackwell, 1985; isbn:0631161880
Stuart G. Shanker, Wittgenstein and the Turning-Point in the Philosophy of Mathematics, State University of New York Press, 1987.isbn:0887064825

 私見では、ウィトゲンシュタイン解釈としてはおそらくベーカー&ハッカーやシャンカーの方が妥当であろう。しかし、哲学的に面白いのは断然クリプキの解(改)釈であると思う。しかし、これらの解釈に触発された社会学観ということになると、かえってベーカー&ハッカーやシェンカーといういささか凡庸なウィトゲンシュタイン解釈に依拠するリンチの観点ががぜんラディカルなものになる。私が興味をそそられるのはこの点である。

社会学にとっては、「哲学的」解釈が──哲学的「解釈」として──面白い必要はなく、哲学的議論を参照し(たり しなかったりし)つつなされる社会記述が面白いかどうか(=findingsがあるかどうか)こそが 大事なことだ、というのは論じるまでもないこと。でも、書店で目にする「社会学」の名を冠した本には、往々にして、この逆の方が多いような。

業界内卓越化のために「興味深い」哲学的議論をひいては見るものの、肝心の社会学的「記述」のほうは‥‥‥。というやつ。

「論じなくてよい問題を論じない」ために使えばよいもの(ここでは 哲学)を、「論じるべき問題を作り出す」ために、使っていませんか?──あなたどう思うか。


もう一点。
しつこくまとめると、ここで彼によって、

  1. ウィトゲンシュタイン解釈としては、クリプキ〜ブルアよりも、ベーカー&ハッカーやシャンカー〜リンチ流のほうが妥当であり
  2. 社会学としてはストロングプログラムよりもエスノメソドロジーのほうがラディカルだ

と 言われて=認定されて いるわけだ。この文章を書いたのが戸田山和久氏である、というのは(とても)重い。‥‥と私は思うのだが。あなたどう思うか。
そして/にもかかわらず、──とつくにの事情は知らないが──、日本では、社会学関連の書籍でクリプキの名を見ることは(しばしば)あっても、リンチの名が──EM界隈以外のところで──参照されることは、めったにない(のでは?)。 これはどうしたことでしょうか。

日本の社会学者さんたちは──戸田山さんよりも──ウィトゲンシュタインの読みに自信がある、ということですね? ならいいです。というか、戸田山さんも悪い。ブルアの翻訳者でありながら、リンチのほうをここまで評価してるなら リンチの翻訳も出せ。いや、出してくださいお願いします。

というか、いかがなものだろうか


‥‥という印象が、私の知識不足によるものであることを、切に希望いたします。



コンティンジェント?アプリオリ?(゜Д゜)?

社会科学の理念―ウィトゲンシュタイン哲学と社会研究

社会科学の理念―ウィトゲンシュタイン哲学と社会研究

http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0057-4.htm
The Idea of a Social Science: And Its Relations to Philosophy

The Idea of a Social Science: And Its Relations to Philosophy


原文にあたってチェックした訳ではないが*1、「リマインド」は──術語的に使用されているわけではなく*2──、著作中で、たぶんここ↓にしかでてこない。「アプリオリ」のほうも頻出するわけではなく、第1章に数度でてくる他は、残りの章にはほとんど登場しない。また、特別に重い含意を担わせれているというわけでもなく、「概念分析(的)」というのとほとんど互換的な仕方で使われているようにみえる。
で、まず「remind」が登場する箇所を:

せっかく届いたので、いちおうちらりと原著もみてみたら。クルター論文でキャッチーなキーワードとして使われている「reminder」という表現が登場しており、しかも、邦訳では省略されていた(=明示的には訳されていない)ことが判明。

これらの問題のすべては、1939年に G. E. ムーア教授がブリティッシュ・アカデミーで行った、「外的世界の証明」と題する名高い講演に象徴的に示されている。ムーアの「証明」はおおよそ次のようなものである。彼は両手を次々に差し上げて言った。「ここに一本の手があり、ここにもう一本の手があります。したがって少なくとも二つの外的対象が存在します。それゆえ一つの外的世界が存在します。」 ここでムーアは、「外的世界は存在するか」という問いを、「鼻面から角を一本ずつはやした動物たちは存在するか」という問いと同じ形式をもつものとして取り扱っているようにみえる。後者の問いは、もちろん二匹のサイを示せば決定的に片付いてしまうだろう。だがムーアの論証と外的世界の存在に関する哲学的な問いとの関係は、後者の問いに対して二匹のサイを提示することほど単純ではない。というのは、外的世界の存在に関する哲学的疑念は、それが他のなにものにも向けられているように、ムーアの示した二本の手にも、もちろん向けられているからである。結局、問題は次のようなことである。「ムーアの二本の手のような対象は、外的世界の住人としての資格をもっているのだろうか。」 このことはムーアの議論が全く的外れである事を意味するわけではない。誤っているのは、それが実験的な学問に見いだされるようなものではないにもかかわらず、実験的な「証明」とみなすことなのである。ムーアは実験を行っていたのではない。彼は「外的対象」という表現が実際に使用される仕方を聴衆に 想起させてremind いたにすぎないのである he was reminding his audience of something, reminding them of the way in which the expression 'external object' is in fact used。そして、この事実が示しているのは、哲学の問題とは、外的対象の世界が存在する事を証明または否定する事ではなく、むしろ、外在性という概念を明確にすることにある、ということなのである And his reminder indicated that the issue in philosophy is not to prove or disprove the existence of a world of external objects but rather to elucidate the concept of externality。このことと、現実の一般的性質に関する哲学の中心的問題との関連は、あきらかなことと思われる。[第1章三:邦訳 p.11-12]

そして他方、クルターの発言は、こんな感じ:




アプリオリ」のほうは、こんな感じ:

[第1章五:邦訳]


クルターの議論は、ウィンチの議論の基本点をなぞりつつ、そこ──概念分析[〜論理文法分析]の作法──に、はたして「会話分析」がきちんと嵌るかどうかをチェックしようとしている ‥‥という風に読める。

*1:とか書いていたら、たった今原著が届いてしまった。確認しなくていいよね。ペーパーバックのかわいい本です。

*2:ウィトゲンシュタイン派」の鏡(w。

女性がボーイフレンドをiPodで殺害

http://www.applelinkage.com/


iPodloungeでは、Headlined Newsによると、テネシー州メンフィスでアーリーン・マザーズ(23)が、iPodでボーイフレンドのブラッド・プラスキさん(27)の頭部を殴打して殺害し、第1級殺人罪で逮捕されたと伝えています。動機ははっきりしていないが、証言によると、マザーズはプラスキさんから音楽を違法でダウンロードしていることを非難され、彼女が3ヶ月かけて収集したiPodに保存したMP3ファイルを消去されたことから口論になったことが原因のようです。
http://www.ipodlounge.com/ipodnews_comments.php?id=3196_0_7_0_C
http://www.liquidgeneration.com/rumormill/ipod_killing.html

暫定ちゃんぷゲト

http://d.hatena.ne.jp/rna/20040310#p1
「日本一ルーマンに詳しいリーマン」*1に加え、今後は、「暫定チャンプ」も【酒井属性】にリストさせていただきます。

*1:ライバルがいないからねぇ...。

Hotwired:人気ウェブログは頻繁に「無断引用」:ウェブログ間の情報の流れを解析

もの書くのは──どこでやっても──大変だ、ということなのです*1


2004年3月5日 2:00am PT  多くの人に読まれているウェブログ作者が、必ずしも独創的なアイディアを最初に思いついているわけではないという調査結果が、米ヒューレット・パッカード(HP)社研究所によって発表された。
同研究所では、ウェブログ間の情報の流れを図式化する新技術を使って、人気ウェブログサイトの作者がより知名度の低いウェブログから頻繁にテーマを拝借しており、しかも多くの場合その出所を明示していないことを発見したという。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20040309206.html

*1:私はそもそも「自分の意見」を「表明」しようという気がこれっぽっちもないので、この点に関して困ったことはありませんが(w。