- 戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」 in
- 作者: 新田義弘
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/12
- メディア: ハードカバー
- クリック: 18回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
マイケル・リンチのどこがどう偉いか、というのが、初学者にもよくわかる論文。
注の27は、タイプして書き写す価値がある(ので する)。
[‥] ウィトゲンシュタインの議論を懐疑的パラドクスの提示とその解決というクリプキ流の路線で理解している ブルアASIN:4326152125 に対し、リンチは逆にウィトゲンシュタインの議論はそうした懐疑論を斥けるための背理法を構成しているのだとする。これはリンチ自身認めるように、ベイカー&ハッカーやシャンカーの解釈に近い27。 リンチによれば、この背理法のポイントは、(プラトニズム的な対象として考えられた)規則が我々の行為を導く、あるいは引き起こす、という「疑似因果的描像(quasi-causal picture)」のおかしさを示すことにある。『哲学探究』題201節の「いかなる行為も規則に従うものとして理解することはできない」という部分は、こうした背理法において導出される不条理な結論(culmination of reductio ad absurdum)に相当する部分なのである。しかし、シャンカーによれば、クリプキはこの点を見落としてしまった。クリプキ、ブルアの懐疑主義的な読みはここから、規則だけではそれにしたがう行為の説明に不十分なのだという教訓を読み取り、それでは規則にさらに何を加えれば行為の説明が完結するのか、という問題をたててしまう。[p.154-5](27) G.P. Baker and P.M.S. Hacker, Skepticism, Rules and Language, Blackwell, 1984; isbn:0631147039Scientific Practice Ordinary Action
- 作者: Lynch
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2008/01/12
- メディア: ペーパーバック
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
, G. P. Baker and P. M. S. Hacker, Wittgenstein, Rules Grammar and Necessity, Blackwell, 1985; isbn:0631161880
Stuart G. Shanker, Wittgenstein and the Turning-Point in the Philosophy of Mathematics, State University of New York Press, 1987.isbn:0887064825私見では、ウィトゲンシュタイン解釈としてはおそらくベーカー&ハッカーやシャンカーの方が妥当であろう。しかし、哲学的に面白いのは断然クリプキの解(改)釈であると思う。しかし、これらの解釈に触発された社会学観ということになると、かえってベーカー&ハッカーやシェンカーといういささか凡庸なウィトゲンシュタイン解釈に依拠するリンチの観点ががぜんラディカルなものになる。私が興味をそそられるのはこの点である。
社会学にとっては、「哲学的」解釈が──哲学的「解釈」として──面白い必要はなく、哲学的議論を参照し(たり しなかったりし)つつなされる社会記述が面白いかどうか(=findingsがあるかどうか)こそが 大事なことだ、というのは論じるまでもないこと。でも、書店で目にする「社会学」の名を冠した本には、往々にして、この逆の方が多いような。
「論じなくてよい問題を論じない」ために使えばよいもの(ここでは 哲学)を、「論じるべき問題を作り出す」ために、使っていませんか?──あなたどう思うか。
もう一点。
しつこくまとめると、ここで彼によって、
- ウィトゲンシュタイン解釈としては、クリプキ〜ブルアよりも、ベーカー&ハッカーやシャンカー〜リンチ流のほうが妥当であり
- 社会学としてはストロングプログラムよりもエスノメソドロジーのほうがラディカルだ
と 言われて=認定されて いるわけだ。この文章を書いたのが戸田山和久氏である、というのは(とても)重い。‥‥と私は思うのだが。あなたどう思うか。
そして/にもかかわらず、──とつくにの事情は知らないが──、日本では、社会学関連の書籍でクリプキの名を見ることは(しばしば)あっても、リンチの名が──EM界隈以外のところで──参照されることは、めったにない(のでは?)。 これはどうしたことでしょうか。
というか、いかがなものだろうか。
‥‥という印象が、私の知識不足によるものであることを、切に希望いたします。