504 :考える名無しさん :04/08/05 00:36
日用サカイ学の中のタイートな人もなんかマヌケなこと書いてるなあ。
もっとセンスあると思っていたけど、
そもそもクリプキについての一般的認識てこの程度なのか?
どのヘンがマヌケなのか書いてないのでこまっちゃうわけですけどもー。
まず。
私自身が「一般的認識」だと考えているのは、たとえば次のようなものです。
【例1】飯田隆氏の曰く:
クリプキが言うように、ウィトゲンシュタインは懐疑主義的議論の結論を受け入れ、その結果、懐疑主義的解決を提案しているのだろうか。この問いを検討したウィトゲンシュタイン研究者のほとんどすべてが、それに否と答えた。(『クリプキ:ことばは意味をもてるか』 2004)
【例2】その十年前に戸田山和久氏の──マイケルリンチを参照しつつ──曰く:
ウィトゲンシュタイン背理法のポイントは、(‥)規則が我々の行為を導く、あるいは引き起こす、という「疑似因果的描像」のおかしさを示すことにある。『哲学探究』題201節の「いかなる行為も規則に従うものとして理解することはできない」という部分は、こうした背理法において導出される不条理な結論に相当する部分なのである。しかし、シャンカーによれば、クリプキはこの点を見落としてしまった。クリプキ、ブルアの懐疑主義的な読みはここから、規則だけではそれにしたがう行為の説明に不十分なのだという教訓を読み取り、それでは規則にさらに何を加えれば行為の説明が完結するのか、という問題をたててしまう。(「ウィトゲンシュタイン的科学論」1994)
次に。
504さんは──あるいは──、私が書いた
を捉まえて「マヌケ」だと言っているのかもしれません。それならちょっと「理解」できます。(想像可能です。──たとえば、クリプキの謂う「共同体」は──それ自体解釈がなかなかむつかしい概念ですが──、実定的な・いわゆる 共同体 を指しているのではない、とかおっしゃりたいのかもしれません。) いずれにしても。
クリプキを対象とした議論に価値があるであろうことは認めますが、しかし、私が照準したかったのはもっと別のことだったのでした*1。
明示的に書けなかったので、いまここで追記的に書くのですが。私が気にしていたのは、「クリプキとウィトゲンシュタインの違い」が「社会学」に効いてくるのはどこか、ということでした。そして、言いたいことの一つは、おそらく次のようなスタイルが「ノーマルな社会学の発想・作法」によく馴染むものであったがゆえに、クリプキは受け入れられたのではないか、ということでした。
すなわち──上記 戸田山=リンチの引用からさらに「クリプキ=ブルア的」な部分を抜き書きします──:
- [1] いかなる行為も規則に従うものとして理解することはできない。
したがって、
- [2] 規則だけではそれにしたがう行為の説明に不十分である。
それならば、
- [3] 規則にさらに何を加えれば行為の説明が完結するのだろうか?
というこの思考=発想のスタイル。
仮にこれが正しかったとすると──言いたかったことのもう一つがこれですが──、「ウィトゲンシュタイン的」なやりかたは、上記の「クリプキ的」=「ふつうに社会学的」な発想とバッティングする*、別の可能性を示唆している、と考えてみることができるはずなのでした。
* というよりはむしろ、「すれ違う」と言うべきか。ガーフィンケル翁のことばを借りれば、「非対称的に代替的」な関係。
もちろん、「社会の記述」という課題に対して、「クリプキ的」なやりかたがふさわしいのか、それとも「ウィトゲンシュタイン的」なやりかたがふさわしいのか──それとももっと別のやり方がふさわしいのか──という問いについては、これだけのことからは ほとんど何も言えません。
が、少なくとも、<クリプキ/ウィトゲンシュタイン>の差異を適切にマークしないと、「社会の記述のやりかた」の一つの重要な(つまりウィトゲンシュタイン的な)方向を見逃すことになる、とは言えるのではないか ──と思ったのでした。
ところで。
507 :考える名無しさん :04/08/05 01:51
本人と、その取り巻きもこのスレの住人なんだな
ブログで書いてるんだから2ちゃんに匿名で書き込む必要なんてないんだってのw。
お前らは俺様のヲチ対象です。ちゃんと見といてやるから、なんか面白いこと書いて(藁かして)ください。
さらにところで >>506氏がライトに言及しているので google:クリスピン+ライト してみた。
すっかり忘れていたが、こんな邦訳論文があるのでした。
- クリスピン・ライト、「クリプキと反私的言語論」、松本洋之訳 in『現代思想』13(14) 1985.12(臨時増刊号:総特集・ウィトゲンシュタイン) p44〜63
これって表紙が緑色のやつですかね(それなら持ってる筈だが.....探してみよう)。
【追記】20040806 00:19
んじゃついでにこれも。読んどきます。はい。
- ジョン・マクダウェル、「規則に従うこと:ウィトゲンシュタインの見解」、永井均訳 in『現代思想』13(14) 1985.12(臨時増刊号:総特集・ウィトゲンシュタイン) p44〜63
てゆかみつかるかなー。宝探しだ。
*1:そうした議論はすでにたくさんなされているわけですし、またまさに飯田さんのこの本が、そのほとんど「理想的」な姿を示してくれているわけですし。