読了。
- 作者: 山崎将志
- 出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
- 発売日: 2006/01/18
- メディア: 単行本
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基本課題を 実効的な行為パターン までブレークダウンして提示する技術がすばらしい。さすがアクセンチュア。
ところで、「会議」というのは経営的にも経営学的にも社会学的にも興味深いフィールドだとおもうのですが、どんな研究があるのでしょうか。ご存知のかた教えて。>識者
読了。
ところで、「会議」というのは経営的にも経営学的にも社会学的にも興味深いフィールドだとおもうのですが、どんな研究があるのでしょうか。ご存知のかた教えて。>識者
via 丸激
「自己組織化」は構造の形成や遷移についての議論、「オートポイエーシス」は要素の生産についての議論。です。
それで思い出した。この記事ですが:
「ふりかえり」はチームが自己カイゼンするための仕組みを、プロセスの中自身に埋め込んでしまう、という発想です(*1)。みんながなんとなく思っている問題点なんかを、「書いて*さらして*しまう」ことで、「あ、なんだ、みんなそう思っていたのか」という発見の共有があり、その発見を、じゃあ、どうやったら「自分たちの力で」少しでもよく出来るか、と考えます。
(*1) 難しくいうと、人間のメタ認知能力を活用し、オートポイエーシス的システムとして開発プロセスをデザインしていることになります。でも、実際に日本の生産革新の現場ではごくごく自然に行われてきたことなんですね。http://blogs.itmedia.co.jp/hiranabe/2006/08/post_b98d.html
こういう やりとり は「定式化」とか「反省」──あるいはまた「再記述」──とか呼ばれるものですが、こうした「メタ*なやりとり」を それだけ取り出して「オートポイエーシス」と呼ぶことはできないでしょう。
この言葉の使い方だと、
ということになってしまいます。
そうではなくて、「オートポイエーシス」という言葉は、要素の連接的産出の水準そのもの──したがって、特定の特殊な やりとり に、ではなく、やりとり そのもの──へと照準するために使われるべきです。
ちなみに、ニクラス・ルーマンは、上記の議論を整理=区別するために、次のような術語を用意しています:
詳しくは『社会的システムたちisbn:4769908083』11章を参照のこと。
【追記】
上の記述では、基底的自己参照(=オートポイエーシス) と 過程的-/反省的-自己参照 の決定的な違いがわかりにくいかもしれないので、追記をば。
この点が まったく異なるわけなので、これらは区別されなければならない、というわけです。──というくらいのまとめでとりあえず。