借りもの:ジェームズ・スミス(1991→1994)『アメリカのシンクタンク』/鈴木崇弘・上野真城子(1993)『世界のシンク・タンク』

後者は「米国現代政策史の中でシンクタンクの役割を描いた政治史の本」。

アメリカのシンクタンク―大統領と政策エリートの世界

アメリカのシンクタンク―大統領と政策エリートの世界

  • プロローグ
  • 第1章 政策のエリート
  • 第2章 社会改革の実験室
  • 第3章 効率推進の専門家
  • 第4章 アドバイスの専門家
  • 第5章 テクノクラート
  • 6 シンクタンクという語は、「第二次世界大戦の時に用いられたミリタリー・ジャーゴンで、計画や戦略が練られた機密保持室という意味の言葉であったが、戦後、軍によって設立されたランド・コーポレーションのような契約研究を行う組織を呼ぶために、1950年代に初めて使われた言葉である。」

初めて使われたのはいつなんだよ

  • 8「政策研究機関の第一世代は、1910年頃、進歩主義時代の改革や「科学的マネジメント」運動の申し子として設立された。」
  • 「第三世代は、1970年代から80年代に設立されたシンクタンクである。機関の数こそおびただしいが、実質は予算とスタッフがはるかに少ない。この世代のシンクタンクは、過去20年間のイデオロギー闘争や政策的混乱の申し子である。その多くは、学問よりも政治活動やプロパガンダを志向している。」
  • 15 注3「「シンクタンク」は、Oxford English Dictionary Supplement によると、世紀の変わり目に、頭脳を意味するイギリスのスラングとして最初に使われた。」
第1章
  • 24 リップマンによれば、ウィルソンの専門家への「敵意は、民主党が長年にわたって強力な中央政府や全国規模の企業に反対してきたことに根ざしたものだという。」
  • 36「この世で価値を追求し、それは無限でも絶対でもないとするプラグマティストの認識は、リベラリズムは無用であり、道徳的な態度に欠けているとか目的もなく相対主義的であるという、リベラリズムに対する保守派の攻撃を招いてきた。」
  • 38「社会科学の失敗は特別な計画に対する落胆だけにはとどまらず…広く影響を与えた。社会科学者の努力に対する信頼を失ったことがリベラリズムの破綻の原因であり、またその結果でもあった」
第3章
  • 専門家と「効率」の由来
    ・19世紀のアメリカで「専門家」というときには、モデルは医者だった。
    ・多くのことが「治療」といった医療メタファーで語られた。
    ・20世紀になるとそこに「物理学」メタファーが加わり、医療メタファーと競合するようになる。そこで導入されたのが「効率」という物理学用語である。「効率」という言葉は大流行し、工場にも都市計画にも持ち込まれた。
    ・「効率」は、19140年代には政治の世界でも広く使われるようになった。そこでフレデリック・ウィンスロー・テーラーですよ。
  • 84からブルッキングス研究所
  • 注41「アメリカの社会科学の登場とその公共政策形成における役割をもっとも明らかにした研究の一つは、B.D.カールによるチャールズ・メリアムの伝記である。」
第4章「アドバイスの専門家」
  • 124 1938年には、「市民サービス委員会の計算によれば、連邦政府には7800人の社会科学者がおり、そのうち5000人以上の経済学者が占めていた。」
    ・政府が経済学化したせいで、それと渡り合うために圧力団体も経済学化した。
    ・そうできなかった圧力団体は力を持てなくなった。
  • 127「皮肉なことに、世間一般の科学に対する信頼がぐらついているときに専門家たちは地位を確立した。」
    ・そして生物学における「適応」に相当する心理学の概念、「調整」が導入され、1930年代には当たり前のように使われるようになった。
    ルーズベルトも、大統領候補時代の演説でこの言葉を使っている(草稿はバーリが書いた)
    ・「均衡と調整」なる語彙は、当時の政策談義を覆い尽くした。

「バーリ&ミーンズ」のバーリであります。

  • 132「1930年代の恐慌の間、社会科学と政治のレトリックは実験に用いられる言葉で溢れていたが、… 1930年代における実験のレトリックは、国家は実験場であるというアメリカの古い国家イメージを呼び起こしたに過ぎなかった。知識人の理論的知識と政治家の実際的経験の両方とも、確実な政策のガイドラインと示すことがなかった当時、実験という無原則な言葉によって、政策立案者は先例の重みに妨げられず、手早く、一貫性がなくとも行動することができた。どの政策の成功も確実とはいえないようなとき、実験と試行の言葉は安心をもたらした。」
  • ・「実験」という語の流行とともに「調整とプランニング」という語も流行したよ。
    ・これはワシントンの専門家を定義し、正当化する言葉になったよ。
    ・「調整」は当時の新しい科学である心理学から導入されたけど、これは生物学における「適応」に相当する概念だよ。
    ・そこに「不均衡」という言葉も加わって、経済学、人類学、社会学政治学の分野に広まったよ。
    ・「調整」という語は、専門家の仕事は「予測と制御」ではない──もう少し容易な課題である──という含意を与えた。
  • ・もう一つ、この時代に広く支持された言葉に「プランニング」があるよ。「恐慌の間、プランニングのさらなる大きな理想は、恐慌と折り合いをつけようともがくアメリカのリベラリズムの運命を憂える多くの知識人──クローリー、ベブレン、ベアード、デューイ──によって後押しされた。」

この章の最後4ページはロバート・リンドのはなし。こうした↑動向に対する批判者として登場する。

第5章「テクノクラート教」

169以下にランド研登場。別途抜書:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20170129

アメリカのシンクタンク』文献

借りもの:キャルホーン『ハーバマスと公共圏』

マスメディアのリアリティ』講義の準備。http://socio-logic.jp/luhmann_acc/
1989年9月に『公共性の構造転換』英訳刊行を記念して行われたシンポジウムの記録。

  • マイケル・シュドソン(1989)「かつて公共圏は存在したのか?存在したとすればいつなのか?アメリカの事例の考察」

ハーバマスと公共圏 (ポイエーシス叢書)

ハーバマスと公共圏 (ポイエーシス叢書)

訳者あとがき
  • 341「フーコーによれば、権力をもつ言説の形成は、それぞれの言説が「他者」を生み出すことによってもたらされる排除のメカニズムに求められる。」

「他者」なる語の意味が分からぬ。

  • 341「水平的なネットワークにもとづいた自己制御的で非排他的なコミュニケーションの批判的な機能を重視するハーバマスの指向性」

「批判的」なる語の意味が分からぬ。

  • 343「国家と経済という行為システムの区別、さらに目的合理的な行為とコミュニケーション行為という行為類型の区別が整合性を持たないことに気づいたハーバマスは、」

なぜ「生活世界とシステム」なる区別も整合性を持たないことには気づかないのか。

  • 174「教養を持った人びとが増加し、政治的な文献を含めて印刷された文献の市場が拡大していくと、そのたびごとに解放に向けた圧力をもたらしていくのは必然的だったということではない。なかでもハーヴィ・グラフは、教養は、人々を現在の立場にとどめようとする社会的なコントロールの一形態をなしているに等しく、しばしばその目的はかなえられたと述べている。」
  • 180「人びとは、宗教を選択しないのと同じように、政党や政治哲学を選択しない」
  • 183 19世紀中頃の「西ヨーロッパ諸国では、政治的なバーベキュー・パーティが人気があった。」
  • 187「選挙戦が共同社会における儀式から政治的な売り込み市場に転換したこと、すなわち1880年から1920年にかけてはじめて生じたこの転換」
  • 189 〆の言葉
    「現在における合理的で批判的な、公正で公平な気持ちを抱いた政治的実践のための条件や可能性を考え出すには、過ぎ去ってしまった過去の公共圏がもっていた特質にたいして幻想を抱くことからは、何も得るものがないのである。」