『マスメディアのリアリティ』講義の準備。http://socio-logic.jp/luhmann_acc/
1989年9月に『公共性の構造転換』英訳刊行を記念して行われたシンポジウムの記録。
- マイケル・シュドソン(1989)「かつて公共圏は存在したのか?存在したとすればいつなのか?アメリカの事例の考察」
- 作者: クレイグキャルホーン,Craig Calhoun,山本啓,新田滋
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1999/09/01
- メディア: 単行本
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訳者あとがき
「他者」なる語の意味が分からぬ。
- 341「水平的なネットワークにもとづいた自己制御的で非排他的なコミュニケーションの批判的な機能を重視するハーバマスの指向性」
「批判的」なる語の意味が分からぬ。
- 343「国家と経済という行為システムの区別、さらに目的合理的な行為とコミュニケーション行為という行為類型の区別が整合性を持たないことに気づいたハーバマスは、」
なぜ「生活世界とシステム」なる区別も整合性を持たないことには気づかないのか。
- 174「教養を持った人びとが増加し、政治的な文献を含めて印刷された文献の市場が拡大していくと、そのたびごとに解放に向けた圧力をもたらしていくのは必然的だったということではない。なかでもハーヴィ・グラフは、教養は、人々を現在の立場にとどめようとする社会的なコントロールの一形態をなしているに等しく、しばしばその目的はかなえられたと述べている。」
- 180「人びとは、宗教を選択しないのと同じように、政党や政治哲学を選択しない」
- 183 19世紀中頃の「西ヨーロッパ諸国では、政治的なバーベキュー・パーティが人気があった。」
- 187「選挙戦が共同社会における儀式から政治的な売り込み市場に転換したこと、すなわち1880年から1920年にかけてはじめて生じたこの転換」
- 189 〆の言葉
「現在における合理的で批判的な、公正で公平な気持ちを抱いた政治的実践のための条件や可能性を考え出すには、過ぎ去ってしまった過去の公共圏がもっていた特質にたいして幻想を抱くことからは、何も得るものがないのである。」