朝カル『近代の観察』講義の準備。おうちにあった本も。
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第一章「テクノクラシーと批判理論のアポリア」
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- ユルゲン・ハーバーマス(1968→1970/2000)『イデオロギーとしての技術と科学 (平凡社ライブラリー)』平凡社
- 47 「ここで注目したいのは、ハーバーマスが経験の基底となる生活世界を論拠として実証主義を批判しながらも、同時にフッサールではなくアドルノにしたがって、生活世界の概念を批判理論の総体性の概念に繰り入れて理解していることである。」
- 57 『公共性の構造転換』1990年版序言
「私は、『イデオロギーとしての科学と技術』(1968年)ではまだ国家と経済という行為システムを行為論的に相互に区分し、しかも一方には目的合理性ないし成果志向的な行為を、他方にはコミュニケーション的行為を区分しようとしていた。だが、行為システムと行為類型とのこうした短絡的な併置は、辻褄の合わないはなしになってしまった。」
〈なってしまった〉じゃねーよ。なるに決まってるだろ。
第二章 労働社会と福祉国家──「危機」の位相
- 64 「「新たなる不透明性」という有名な時代診断は、… 第一章で見たように、10数年前のハーバーマスが社会国家…の現実をもっぱらテクノクラシーの概念でとらえ、脱政治化された管理社会の「一次元性」を批判していたことからすれば、この十年余りの間に彼の社会理論とその時代認識が大きく変貌したことがわかる。」
これもまた ふざけた話。
- 67 「まして、システムの自己言及性を強調するルーマンの現代システム理論であれば、たえず複雑性を縮減するシステムの機能によって、危機の概念は定義上からして成立しないことになる。代わりに、システムをたえず技術的に制御するテクノクラシーのイデオロギーがそこで成立したことは、すでに見てきた。」
〈すでに〉ってどこで???