借りもの:マーティン・ジェイ(1997)『ハーバーマスとアメリカ・フランクフルト学派』

はてな記法がおかしい。

ハーバーマスとアメリカ・フランクフルト学派

ハーバーマスとアメリカ・フランクフルト学派

  • 第七章「マルクーゼかハーバーマスか──テクノロジーについての二つの批判」(アンドルー・フィーンバーグ)
    • はじめに
    • 7-1「第一ラウンド:「ひそかな希望」から新しい平静さへ」
    • 7-2「第二ラウンド:近代批判における合理性」
    • 7-3「第三ラウンド:メディア理論の再定式化」
    • 7-4「価値と合理性」
    • 7-5「一つの事例:エイズ医療保険
    • 結論

引用

第七章(フィーンバーグ)
  • 241 「この論文で私は、テクノロジーに関するマルクーゼとハーバーマスの見解を対比し、両者の諸エレメントを結びつけるオルタナティヴを提案する。」
  • 245 「マルクーゼはシュールレアリストの熱狂的な読者であったし、理性と想像力の融合を通じて日常生活と芸術の分離を乗り越えることができるという考え方を彼らから引き継いだ。」
  • 246 ハーバーマスにとっては、「端的に言えば、テクノロジーは、成果と管理を志向した、自然に対する、つねに非社会的な、客観化的な関係であるだろう。反対にマルクーゼは、テクノロジーの本質は近代産業システムの変革プロジェクトの中で問われているのだと主張するであろう。」

何の戦いなんですか。

  • 247 「逆説的なことに、ハーバーマスの有名な「植民地化テーゼ」の起源はマルクーゼのテクノロジー批判から引き出されたように思われるのに、テクノロジーそのものは、このときハーバーマスの方程式から脱落し、2度と現れないのである。」
  • 257 「生活世界は、システムが生活世界へと拡張し、言語的に媒介されるべき社会生活の次元を脱言語化するのに応じて収縮する。ハーバーマスはこれを「生活世界の技術化」と呼ぶ点ではルーマンに従っている。ハーバーマスが近代社会の技術的傾向を説明するにあたって『啓蒙の弁証法』と『一次元的人間』をはるかにしのぐ正確さと明晰さをもたらすことができたのは、メディア理論を使ったからである。」
  • 258 「それゆえ私は、メディア理論のなかにテクノロジーを付け加えることを提案する。」
  • 注7 「授乳はそれ自体としては授乳のテクネーなしにはできないのであって、おきまりの形とは違うし「成果志向的」でもない。こうした観点からすれば、乳児向け調合乳はテクノロジーである。その一方で母乳の授乳はより適切に人格的なテクニックと呼ばれるであろう。このように技術的行為の領域はメディアの領域よりもずっと広いのである。」
  • 273 「ここで見た法とテクノロジーの類似性がなぜもっと早くフランクフルト学派の伝統の中で多くの人びとによって気づかれなかったのか不思議に思われるかもしれない。人間学と科学との古い専門的な境界が社会理論の基礎的なカテゴリーを決定してきたのかもしれない。もしもそうであるならばその対象のまさに本質からして境界を侵犯していると非難される我々の分野で、それら境界がもたらす影響に異議を唱える時期が来ている。」

どんだけ低いレベルで議論してるのかと。

文献

七章