借りもの:木前利秋(2014)『理性の行方:ハーバーマスと批判理論』

理性の行方 ハーバーマスと批判理論 (ポイエーシス叢書)

理性の行方 ハーバーマスと批判理論 (ポイエーシス叢書)

  • 付録 近代化と西欧近代の普遍主義的意味
  • 追悼・木前利秋 (上村忠男、岩崎 稔、亀山俊朗、西谷能英)
第三章
  • 193 「興味深いことだが、こうした論戦が一段落したあとに理論上の修正や変化を遂げることになったのは、多くの場合、批判された相手ではなく、批判した当のハーバーマスの方である。」

ほんと勘弁して欲しいわー

  • 231 「前理論的な知識(know-how)は反理論的でも非理論的でもない。理論以前だが、言葉や概念で順序立った明確化がおこなわれればより理論的な知識に変わる可能性を秘めたものである」
  • 231 「「より理論的」といっても、ただちに科学的な概念や専門の用語で体系づけられた知だと考える必要はない。」

なんで「理論」じゃないといけないんですかね。

第四章
  • 251 「テイラーの科学的管理法のように、当初の第一段階は一見したところ技術的合理化を単に延長しただけに思われる。しかし社会的合理化が「産業心理学」によるテイラー主義批判の第二段階を経て、さらに第三段階にまで歩を進めると、労働者にとって否定的な状況そのものを否定する合理化の別の可能性が生まれてくる。」

これはおかしい。

  • 258 「若きマルクスに由来する労働疎外の概念は
    ・労働者が自分で作り出した生産物から疎遠となり
    ・自分の労働が自由意志に基づかない疎遠な強制労働となり
    ・さらには共働する労働者がその類的本質から疎外され
    ・人間としての労働者が他の人間から疎外される
    現象を意味している。」
  • 263 「技術的発展が「完成の力学」に基づいて一義的な関係を作り出すのに対し、「衛生的」発展は「遅延の力学」に基づいて多義的な関係を生み出す。」

なんの根拠があってこんなことを言えるのか。

  • 269 「言うまでもなく市民的公共圏には、当のこの対話の場そのものが疎外や物象化の影響にさらされないだろうかという疑いは残る。」

またそれか。

文献

第四章