注64、ル・メルシエ・ド・ラ・リヴィエールに関連して。
商業・専制・世論―フランス啓蒙の「政治経済学」と統治原理の転換
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書評いろいろ
- 一ノ瀬佳也(2014)「書評 「市場」の自由化と「世論」の相克 : 安藤裕介『商業・専制・世論』を読んで」立教法学 (90), 265-281.
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005538215
http://doi.org/10.14992/00010772 - 安藤裕介(2014)「書評に応えて:フィジオクラットの統治論補遺」立教法学 (90), 282-291.
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005538216
http://doi.org/10.14992/00010773 - 森村敏己(2015)「書評 『商業・専制・世論』(安藤裕介著)」社会思想史学会年報 (39), 266-270, 藤原書店
https://ci.nii.ac.jp/naid/40020614161
http://shst.jp/journal/backnumber/2015no39/ - 上野大樹(2016)「書評 安藤裕介著『商業・専制・世論:フランス啓蒙の「政治経済学」と統治原理の転換』」 日本18世紀学会年報 (31), 124-126.
https://ci.nii.ac.jp/naid/40021309613
https://docs.wixstatic.com/ugd/1aea73_c8472b8054274fe3bbcaf49675fe98f6.pdf
序論
- 18世紀のフランスではエコノミーという語はいろいろに使われていたよ:国家の統治全般、公共財政、commerce の互換語、など。
- 本書で扱う論者に対して「政治経済学」という言葉を使うのは、次の世代のセイが、前の世代を一括してそう呼んだからだよ。
- セイが指摘したのは、前の世代が 統治形態・社会編成・富の問題を切り離さずに論じていた、ということだよ。
- [6] 本書の目標は、18世紀フランスの政治経済学を、当時の言説状況に即した未分節かつ論争中の学問として浮かび上がらせることだよ。
- [7] 中でも特に穀物取引の自由化をめぐる論争を取り上げるよ。
- 本書は特に、ポランニー、ハーシュマン、ロザンヴァロンらの思想史研究から多くの示唆を受けてます
- [9] ロザンヴァロンはこれ:ピエール・ロザンヴァロン(1989→1990)『ユートピア的資本主義―市場思想から見た近代』国文社
ロザンヴァロンの研究では18世紀フランスにおける「経済イデオロギー」──もともとはルイ・デュモンの使用した言葉…──の出現が検討されている…。この言葉によって彼が表象しているものは、異なった社会的利益を調整し、人々の平和な共存を可能にする理想のモデルとしての市場社会像である。ロザンヴァロンは、ここで「政治的なもの」(=社会契約による権威あるいは権力の樹立)と「経済的なもの」(=自己調整する市場空間)のイメージを鋭く対照させている。ロザンヴァロンは、ここで「政治的なもの」(=社会契約による権威あるいは権力の樹立)と「経済的なもの」(=自己調整する市場空間)のイメージを鋭く対照させている。彼の理論的図式に従えば、17世紀の社会契約論がどのように社会が成立するのかを説明する原理だとすれば、18世紀の市場社会論はどのように社会が調整されるかを説明する原理なのである。だが、この二つの時代、この二つのモデルを鋭く対照させることによって、ロザンヴァロンは「政治的なもの」と「経済的なもの」が絶えず交渉を繰り返す思想・言説空間を取り逃がしている。むしろ本書が力点を置くのは、一方の凋落と他方の勃興というコントラストではなく、両者が連続し、混じり合い、何度も境界線を引き直す過程のダイナミズムである。
参照されてるデュモンの著作は1977の Homo aequalis.