コメント欄にてhidexさん曰く:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040510#c
しかし「本当に」ローティがプラグマティストであるか否かというのがぼくにはよわからんです
「本当に」というのは、そのままでは回答不能な問いかけなので、がんばって問いを修正・変更(するだけ)してみますと。
「プラグマティズム」というのは
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- 事柄は πραγμα -に即して- 捉えましょう・扱いましょう
という「方針」[=ism] のことだ、と私は理解しています。
余計な挿入をはさんでおくと: もしこう↑考えてよいのであれば、それは、「プラグマティズム」と「社会学」の因縁浅からぬ仲を示唆するように、私には思われるわけなのでした。「社会学」は──いつもかならず、というわけではないにしても、これまでしばしば──「行為の学」として自己提示してきたのですから。
もしも この私の理解が正しいとすると──直感的に明らかなことには*1──、次のようなことがいえることになるはずです:
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- pragma の捉え方如何で、「プラグマティズム」の<中味>は変わってしまう(=激しくバラエティをもつことになる)。
- 「pragmaに即す」という作業(の諸帰結)は、完結した教説としては提示し得ない。
- なぜなら「pragma」(そして「pragmaの記述」)自体が完結したものではありえないから。
などなど。
なので、「(積極的に)プラグマティスト-である-こと」は、
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- 「方針」の共有
は意味し得ても、
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- 「教説の共有」
は意味し得るかどうかは自明ではない、と。
で、「ローティはちゃんとしたプラグマティストかどうか」という問いについていえば、私は、
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- ローティは方針を共有してるか
という問いについては、「然り」だと思いますが、
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- 「ローティの個々の発言・議論は、pragmaに即してどうか/ちゃんとpragmaに即しているか」
という問いについていえば、「よくわからない」ですw。
いや、ほんとに問いを修正・変更しただけですがw。
*1:ちゃんと示すのは難しいですが。