良書。
そもそもこの世に「経営社会学」なるものが──組織社会学でも産業社会学でもないものとして独立に──存在する(した?)ことを私は知らなかったのだが、この連字符社会学分野が1920年代にドイツで立ち上げるところから──この本が出版された──70年代初頭までのあれこれのいきさつをコンパクトにまとめてあってたいへん勉強になりました。
主要な主張にはほとんど賛同できないけど。
びっくりしたことに、ルーマンの60年代の論文「目的-支配-システム」(というウェーバー論)の紹介に一節をあてていた。分量は少ないけど、「最近の組織社会学の動向をみるために」という名目で、書物の転回点となる重要な位置におかれている。75年の出版を考えると、比較的早い時期での紹介的言及の一例になるか。ルーマンが60年代の半ばから終わりにかけて組織論分野で行った研究が、どのようなコンテクストでのものだったのか、ということが、この本を読んで少し分かった。これは予想外の利得。
経営Betrieb という言葉は──指摘するまでもないことだが──、ウェーバーの著作の中で非常に重要な、しかも目を引く位置にある言葉である。なので、ドイツで「経営社会学」が登場したときに、それは当然ウェーバーの影響下にあっただろう、と思いたくなる。‥‥ところが、そうではない、というのがこの本で紹介されていることなのだった。これはちょっと驚き(=自分の無知の確認)。
ならどうだったのか、というと。
著者の紹介によれば、20年代の立ち上げ期から30年代の成立期をへて ナチスの登場によって経営社会学のプロジェクトが頓挫するまでのあいだ、そしてさらに50年代の「復興期」に至っても、ウェーバーはずっと 無視され続けており、なんと、60年代に入ってようやく、アメリカの産業組織論の影響を介してようやく扱われはじめた、ということであるらしい。しかも、もっぱら批判の対象としてである。この事情を、著者は、
- ステージ1[戦前]:「疎外論的」説に依拠する経営社会学の登場
- ステージ2[戦後]:「経営=経営協同組織」説 v.s 「経営=支配団体」説の闘争
- ステージ3[60年代]:ウェーバーが「経営=支配団体」説に重ね合わせたうえで批判される
というわかりやすい図式で紹介する。
そして実は、「ステージ3」は
とみなしうるものであり、
と まとめる。
ここでウェーバーの一面性と言われているのは、おもに次の点: すなわち、ウェーバーにおいては、「支配」(=<支配/服従>)が──「服従者がいかなる都合で・なぜ服従するのか」ということを顧慮することなく、その意味で──一方的に(=組織上層部あるいは組織外部の観点から)しか捉えられていない、ということ、これである*1。したがって、そうである限り実は、
というのが著者の主張になる。
というところまでが大きく二つに分かれるこの著作の「前半」部(にして主要部分)。つまり経営社会学史を振り返って、次の(著者自身の積極的な)主張を示すところまで。
そして、これを踏まえて、組織および経営社会学が向かうべきところを論じるのが後半部分。