涜書:Luhmann「Closure and Openness」

  • Niklas Luhmann, "Closure and Openness: On Reality in the World of Law" in G. Teubner (eds.), Autopoietic Law: A New Approach to Law and Society, Berlin 1988, pp.338-343.

Autopoietic Law: A New Approach to Law and Society (EUROPEAN UNIVERSITY INSTITUTE, SERIES A)

Autopoietic Law: A New Approach to Law and Society (EUROPEAN UNIVERSITY INSTITUTE, SERIES A)


 前節で論じたように、ルーマンは、意識システムとともに、コミュニケーション・システムを、固有のオペレーション様態(コミュニケーション)において「閉鎖的」かつ自律的な自己構成をおこなっているオー■ポイエシス的システムとして定式化している。そうすると、理論的にも、あるいは素朴な意味においても疑問とされるのは、コミュニケーション・システムがそのオペレーションにおいて「閉鎖的」かつ自律的であるというならば、コミュニケーション・システムとその環境との関係や環境への依存性というテーマをどのように考慮に入れうるのか、ということであろう。しかしながら、こうした疑問自体は、ルーマンがコミュニケーション・システムのオペレーションの「閉鎖性」によって意味するところを検討してみれば、むしろ誤解にもとづく疑似問題にすぎないということがわかる。なぜなら、そうした疑問が提起されるさいにしばしば前提とされているのは、物体の出入りを念頭においたきわめて強意の「開放性/閉鎖性」モデルだからである。ところが、実際にはこの「閉鎖性」の問題をめぐってさまざまな疑問・批判が表明されたため、ルーマンは、ついには「オペレーションの閉鎖性をめぐる諸問題 Die Probleme mit operative schliessung」(1995)なる論文まで書くことで、繰り返し表明される疑義に対処しなければならなかった(19)。

(19) ルーマンは、この論文を書くに至る過程で、法システムの閉鎖性と開放性をめぐって、“Closure and Openness: On Reality in the World of Law”,in: Gunther Teubner (Hrsg.), Autopoietic Law:A New Approach to Law and Society, Berlin 1988,S.335-348. を書いている。本書は、一九八五年にフィレンツェで開かれた法とオー■ポイエシスをめぐるシンポジウムでの報告をもとに編纂されたものであるが、本書の序文でこのルーマンの論文を解説するにあたって、編者のG.トイプナーは、シンポジウムの途上、次のような異議がルーマンに対して提起されたことを紹介している。つまり、法システムが開放的であると同時に閉鎖的であるというパラドックスはいかに解決しうるのか、あるいは、法システムの自律性を主張しておきながら、同時に法システムと社会との全般的な相互依存を強調するなどという{/333頁}ことがいかにして可能なのか、といった異議である。これは、システム/環境−関係の問題が、「オー■ポイエティック・ターン」以降のルーマンにとって、いかにアクチュアルな問題であるかを示す一つのエピソードであるといってよかろう。

 また、こうした状況を反映してのことか、一九九三年に刊行された『社会の法』第十章「構造的カップリング」の{/317頁}冒頭は、次のような書き出しで開始されている(20)。「システム理論がオートポイエシス的システムのオペレーションの閉鎖性を強く強調すればするほど、それだけますますこの条件のもとでシステムの環境との関係はいかにして形成されるのかということが、緊急の問いとして立てられるのである」。これに対してルーマンは、(先にも述べたように)オペレーションの「閉鎖性」が意味しているのは、システムのオー■ポイエシスが、いつでもそのシステム固有のオペレーション(コミュニケーション・システムであれば、コミュニケーション)によっておこなわれているという事態以外のなにものでもないと述べる。もっとも、こうしたシステムのオペレーション上の「閉鎖性」は、同時にそうした「閉鎖性」と矛盾することのないシステム/環境−関係のいっそう精密な陳述を要求する。ルーマンによれば、小稿で取り上げている構造的カップリング概念は、こうした要求への回答にほかならないのである(21)。

・・・この場合{コミュニケーション・システムと人間の生体の関係においては}、「マテリアル」は物質的なものに限定されているが、ルーマンは、「マテリアル」の連続性というこの考え方を、有意味的なリアリティ(たとえば、言語)についても適用している。ルーマンは、「マテリアル」をこのように拡張することで、言語における法システムと社会との「マテリアル」の連続性について論じている。詳しくは、N.Luhmann,“Closure and Openness:On Reality in the World of Law”, in:G.Teubner(ed.), Autopoietic Law: A New Approach to Law and Society, Berlin 1988, pp.338-343. 参照。(334頁)