涜書:ル・ゴフ『ル・ゴフ自伝』

夕食。

ル・ゴフ自伝―歴史家の生活 (叢書・ウニベルシタス)

ル・ゴフ自伝―歴史家の生活 (叢書・ウニベルシタス)

すげー凡庸なお人柄がしのばれる、自伝としてはまるで面白くない書物。ともいえるが、本人以外がけっこうたまらん人ばかりなので、そこを楽しむのが吉(か?)。


偉い生徒をもった先生が生徒をヒドい目にあわせるとあとで白日の下に晒されるという話:

  • 中世史の主任教授ルイ・アルファンに関して悪い思い出がありますね。

 実際、ソルボンヌで、アルファンは封建制度に関する講義をしていたが、私はついていけなかった。それほど魅力に乏しい講義だった。1947年に発行されたかれの『シャルルマーニュ』について、どう言ったらよいか、あとえばリヨン大学の中世史専門家A・クランローズのきわめて伝統的な著書より劣っているのではなかろうか。
 中世史の修了試験で、わたしやアラン・トゥレーヌを不合格にしたのはこのルイ・アルファンだった。わたしの思い出で、かれに厳しいのはそこからきているのかも知れない。

アラン・トゥレーヌの証言
 テーマは領主制社会に関していた。われわれがアルファンに会いにいったら、かれはこう言った、「きみたちのレポートでは、騎士社会について何も触れられていなかった、それだけでも非常識だと思われる」。われわれはマルク・ブロックを読んでいたので、飛び上がって驚いた、「なんですって、領主制社会が生産社会の概念として封建的関係のタイプとおなじものだとおっしゃるつもりですか! なにもかも混同しないでください」。こうして、かれはわれわれを不合格にした……われわれのほうが完全に正しかったと思う、だがこの教授とわれわれの関係は明らかに悪化していた。

 わたしは歴史家についてとやかく言いがかりをつけたくないが、封建制度における君主の地位に関するアルファンの大論文が思いだされる。まったく平凡だった!これほど弱体化されて示された君主には本質的な実権が完全に喪失されているものと見なされていた、ところがマルク・ブロックの『王の奇跡』ではその権力が確認されていた。[p39-40]


マルク・ブロックについて:

  • マルク・ブロックがドイツ軍占領下で書いたあの立派な本「奇妙な敗北』は、死後になってはじめて発刊されたのでしたね。

 1914〜18年の大戦は28歳のこの若い将校の運命を決定していた、つまりかれは負傷し、四回、表彰されていた、そして重病にかかったために休養をとらされ、そのあいだに、かれははじめの五カ月間の戦闘の思い出を書き、そこから歴史家として自分の体験の結論を引きだした。それ以来、マルク・ブロックは「現在の無理解が宿命的に過去に対する無知から生じるとしても、やはり現在から過去を理解すベきだということは真実だ」と信じます。こうして「逆行的方法論29」の重要性が浮かびあがり、それが『王の奇跡』1924年)を執筆しているときに適用されている。そのとき、かれは1914〜18年の兵隊や人民の心理が、国王の奇跡を前にした中世の人間の態度を明らかにすると悟ります。
 1939年秋、マルク・ブロックは54歳で、六人の子がいたにもかかわらず、フランス軍に志願し、軍隊とともにレンヌまで撃退させられ、その地で、1940年六月から『奇妙な敗北』を書きはじめるが、これはまさに惨敗を理解し、説明しようとする驚異的な努力です。
 後に直接史と呼ばれたものの模範がまことに驚くべき形でそこに見いだされる。マルク・ブロックは、深い衝撃を受けたその敗北を説明しようと試みるが、その敗北は歴史家であると同時に愛国者としてのかれを文字通り「びっくり」させた、なぜならその敗北が奇妙であり、青天の霹靂であり、そんな惨敗をするとは夢にも思わなかったので仰天している人民を打ちのめしたからです。かれは、歴史家がいくら継続性や類似性を探求しても無駄だと悟る、つまり新奇さにも敏感でなければならない。
 その評論は、起こったばかりのことについて、歴史家の客観視や知識に頼るような分析の単純な考察を一新させるのに格別の意義があります。ジャーナリズム的年代記になれたものこそ、真の歴史的考察です。
 われわれにごく近いこの歴史的断片を指すのに、一般にふたつの形容が使われる、つまり同時代、あるいは現在。マルク・ブロックは好んで別の言い方、つまり「今日的」を使います。またわたしはその語がまったくすばらしいものだと思う、なぜならその語がふたつのことを示すからです、つまり一方では、われわれが巻き込まれている歴史であり、他方、違った文脈、別のイデオロギーでベネデット・クローチェもそう言っているからです、つまりそれがここでも適用できます、なぜならどんな歴史もすべて同時代の歴史ですから。「今日的」とは、もちろん経験された現在であり、歴史に変えられた現在ですが、それはまた過去の歴史をつくるということが、過去が存在した時に対してその過去を今日的にすることによって価値があるということも示します、ちょうど、女たちや男たちがその時を生き、だれかがそのことを書いたが、それは今日的でもある、なぜならその反響がいまでもわれわれを感動させ、いつまでも現在的であり、現在の光によって解釈し直されているからです。
[‥]

 それは1949年に、リュシアン・フェーヴルの世話で刊行される遺作ですが、その未完の試論では、意味深い独創的な見解がときどき原稿から吹きでている、というのも作者が出版のために手を加えていたからでしょう。はじめ、その本にはあまり驚かなかった、なぜなら1950年代以後、わたしの師フェルナン・ブローデルあるいはモーリス・ロンバールの歴史観や教育にはマルク・ブロックの思想の多くが取り入れられていたからです。その後、はたその作品を見直すことになった、というのも最近になって、新しい序文を書くように頼まれたからです。その本を読みはじめたときから、革新的な性格だけでなく、つねに今日的な視点にも感銘を受けた、つまり歴史家には方法論的な問題が重要だという考えを固めさせてくれた。その本にはわれわれの仕事や方法に関して根本的な問いかけ、つねに時との本質的な関係、そして歴史家と未来の関係、歴史家の仕事と、学生のみならず一般読者に対する教育者の責務についての間題が提起されているが、これは不幸にして深く論じられていません。
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 この作品から、一例だけを挙げてみましょう。それはフェルナン・ブローデルの論文「長い持続期問」の重要性を減じるものではありませんが、もし注意深く『歴史家の仕事』〔‥〕を読むなら、マルク・ブロックがフェルナン・ブローデルほど効果的に説明していないが、歴史的リズム、歴史の各時代の相違についての基本的現象を歴史的現実にいっそう近づけて説明していることが分かります。フェルナン・ブローデルは、言うなれば、その概念を様式化し、三つの形のリズムにおいて本質的に説明する、つまり長い持続期間、構造という緩慢で深いリズム、情勢という中間的なリズム、それからすばやく、息もつかさないリズム、つまり事件のリズムです。ブロックによれば、それらのリズムははるかに多様であり、また歴史家の責務のひとつとして、社会の進化において、構造や情勢や事件のあいだの関係にとらわれないで、錯綜と喧騒を形成する歴史における時の複雑性の作用を明らかにしている。それは、当初では完全にわたしに理解できなかったが、実は何か基本的なものであり、客観的歴史と、歴史家にとって歴史のつくり方について、わたしの大きい反省のひとつになっています。[p.117-121]

注の29:

29. この方法をアルケオロジーとジェネアロジーに関するミシェル・フーコーの概念と比較しなければならない、つまりフーコーはもっと一般的なやり方で、「新しい歴史学」の歴史家たちと複雑な知的関係を維持したが、かれはわたしにとっては、どんな歴史哲学とも違って哲学と歴史とのあいだのユニークな関係における偉大な啓発者だった.

そんなこと言われても困ります。