キングカズ!キングカズ!

葵さん。コメントありがとうございました。(『権力』がまだみつからず、再読できていないのですが。)

権力 (社会科学の理論とモデル)

権力 (社会科学の理論とモデル)

上記著作におけるキングカズによるフーコー批判に対して、誰かフーコーじゃんの反論はありますか
http://d.hatena.ne.jp/contractio/20051031

盛山先生によるフーコー批判の中心は「観念図式権力論が『抑圧的権力論』を(批判しながら実は)温存した」という点でした。これの元ネタはドレイファス+ラビノウ『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』で──たしか盛山本でも注の中で挙げられてましたと思いますが──重要なのは多分、ここですよね、
[‥]
そうすると、盛山先生によるフーコー批判は確かに画期的でしたが、そんなに新しいことばかりというわけでもなさそうで重要な論点がフーコーを早くに研究してきた人たちから先に提出されているということもあり──フーコー論者からの(新たな)反論が少なくてもさほど疑問でないという気もします。

なるほど。私の質問の書き方がいいかげんでした。ごめんなさい。
 キングのフーコー批判には、ここでまとめていただいたこと──確かにこちらのほうが この著作の主導的な論点ですが、そ──のほかに、史料の扱い方(の恣意性)についてのコメントもあったと記憶しています。私が念頭においていたのは そちらのほうでした。

こちらの批判は──あるいはこちらの批判も──「外在的」ですが「まとも」なものだとおもいます(つーか犬も喰わない外在的な正論ですが。しかし「単なる正論だ」というのは それを検討しない理由にはなりませんしね)。 しかも、「権力」という語は それを使用しなくても社会記述が行えます──ので 誰もがみなこまるというわけではありますまい──が、史料操作のほうは そうはいきません。なので──直観的には──こちらの批判のほうが深刻であるように、私には思われるのでした。