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「芸術」
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この[古代ギリシャと近世という]二つの時代を隔てる長い期間、芸術を統一的にとらえる考え方は希薄で、別の現地による技術の類別が支配的であった。
芸術の貴賤
芸術の統一的概念の展開を阻害した要因の最たるものは、その仕事と仕事の担い手を貴賤に分ける社会的・身分的な概念である。これは世界的に見ておそらく有力な見方であり、洋の東西を問わず、ミューズ的芸術と総称しうるようなもの(文学、音楽、演劇、舞踏など)と、「もの」を作り出す造形芸術とは、歴史的に見て、かなり異なる社会的地位に置かれ、同類の活動とは考えられなかった、と思われる。前者のなかでも文学、音楽や舞踏の一部は貴人のたしなみとして尊ばれ、残りのものはさげすまれるという、地位の落差が存在した。この差別の理由のうちでもっとも本質的なのは、知的なものを重んじ、肉体的な仕事を忌避する、という価値尺度である。技術を、学問に類する知的な活動と、ものを造る技術的な仕事とに分かつこの考えが強くなると、例えば詩と絵画は、芸術としての近さよりも、頭の仕事と手の仕事という差別のなかに置かれることになる。例えば、平安朝の貴族にとって、うたを詠むことは、絵画よりも蹴鞠のほうにずっと近い活動であったに違いない。この差別は古代ギリシャに既に存在したが、定着させたのは中世のラテン世界である。貴の部分は自由学芸 liberal arts、賤の部分は熟練的技術 mechanical arts と呼ばれた。重点は自由学芸のほうにあり、現代の大学の一般教養科目に相当する学問として制度化された。芸術のうちでも詩が教材として用いられ、また学問としての音楽がここに含められたが、他方、熟練的技術は教育制度のなかに組み込まれることがなかったために、その体系も不安定なままであった。仕事の実態のうえでは、造形美術は主としてギルドによって担われた職人仕事であり、しかも、例えば、画家のギルドが存在しない場合、かれらは医師・薬剤師のギルドや印刷業者のギルドに寄生していた。職人そのものの社会的地位が低かったうえに、職人のなかでも、異種のギルドに属していた画家のような立場は、いわば二重に阻害されていたことになる。
文献
- 美学: 佐々木健一(1988)「美と言語表現」in 『哲学への招待 (有斐閣双書)』
「言葉にならないもの」について - 美: 佐々木健一(1986)「虚構と真」in 『新・岩波講座 哲学〈3〉記号・論理・メタファー』
「仮象」について - 芸術: 佐々木健一(1992)「21世紀の芸術」in 『21世紀の哲学 (哲学雑誌 (第107巻第779号))』
「芸術の終焉」について