ほつまさんのところからトラバっていただいてますが:http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20040716
わたしのとこにもぽつぽつ、
koseki.cc | はてな地図 | contractio
http://www.ii.ist.i.kyoto-u.ac.jp/~koseki/hatenamap/hatenamap.cgi?target=contractio
からのお客さまが。
記事:
ほつまさんのところからトラバっていただいてますが:http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20040716
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記事:
ASIN:4255002770。
レポまとめ(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20040712)に、おにわさんを追加。
今日のシンポジウムで小松美彦氏が「若い外野の2人によるアカデミズムへの挑戦状」と言っていたけれど、
「在野」、ですな。 (引用元修正済み)
内容:MARCデータベースより 1970年、京都大学ブータン学術調査隊の学生隊員として京都に戻った著者を迎えたのは、荒廃しいっそう管理化された大学の姿だった。著者は、独学で自然科学研究を続け、証券会社に就職する。あらゆる世代におくる一冊。
アマゾンのレビューでこんな↓ことを書いていらっしゃる方がいましたが、まったくもって おっしゃるとおりですな:
この本は、そんな全共闘世代に属する米本さんが書いた半自伝だけど、やっぱりよく分からない。「残る一生は、京大理学部を呪いつぶすために道なき道を歩く」(96頁)と決意して在野の科学者になったそうだけど、ちゃんと恩師(白上謙一さん)は「嵯峨野通い」(110頁)を認めてくれたし、三菱化成生命研究所に就職できたのも一人の大学人(中村禎里さん)がサポートしてくれたおかげだった。それを「アカデミズムの中に共犯者がいた方が、研究がすみやかに進む」(182頁)って言われたら、立つ瀬がないだろうなあ。
はっはっは。また融合ですよ奥さん。
50冊揃えるのに対して萌え単に足元をすくわれています。
会話が恐ろしくかみ合ってなくて面白い。こんなに面白いのみたのは『サイファ』以来かも。
もう一発、editechさん経由で。(http://d.hatena.ne.jp/editech/20040714#p6)
の、長谷川眞理子さんによるブックレビュー。
一方で、「環境決定論者」たちは変わったのだろうか? それは、おもに人文・社会系の学問で人間を研究している人たちのことだが、さて、どうだろう? また、これは私の経験だが、若い人たちの多くは、「遺伝じゃない、環境だ」と思っている。環境決定論には、なにか魅力があるらしい。先にも述べたように、社会や文化が変われば変わることができるという希望を与えてくれるらしい。しかし、私は、個人のあり方が環境で決まるなんて、遺伝で決まるというのと同じくらい、いや、それ以上に不愉快だ。「私」というものが完全に外部から受動的に動かされるもので、「私」の内部から出てきたものがないなんて不愉快だ。いずれにせよ、環境がすべてでも遺伝がすべてでもないのだから、よかった。
「遺伝子」は、「私」とか「個人」とかにとって「外部」にあるんじゃないですか? (どうして「内部」だなんていえるんでしょう???)
*1:ものすごく大きな