識者の教えを請う。

『年報』の新しい号が出たらしいですが。もう買えますか?

関東社会学会 事務センター

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ところで“Askビデオさん、動画デジカメ欲しい!”(引用)。 関係ないけど。

(20060830) 哲学はなぜ進化学の問題になるのか:生物学の哲学の多様な展開

via http://blog.livedoor.jp/landingzonebravo/archives/50770896.html

  • 日本進化学会 http://shinka.lab.nig.ac.jp/
  • 日時:8月30日 (水) 19:30〜21:30 場所:センター棟5階(501号室)
  • 企画者:○三中 信宏(農環研/東大・院・農生)・南部 龍佑(上智大・院・哲学)

 科学者にとって「科学哲学」はあってもなくてもいい研究分野なのだろうか?しかし,進化学や体系学の現代史をふりかえると,いたるところで“哲学”に関わる論争が絶えなかったことを現場の科学者は誰もが体験したり見知ったりしているはずだ.哲学的な文脈がどうでもよくないからこそ科学者や科 学哲学者たちは機会をとらえては論議し続づけてきたのではなかっただろうか.科学哲学はたとえば1970年代以降の社会生物学論争や体系学論争を通じて,進化学という個別科学に大きな関心を向けてきた.それは生物進化研究が提起する議論が,経験科学の研究対象としてだけではなく,哲学的あるいは概念的な分析を必要とする諸問題を含んでいるからである.現在の「生物学の哲学」は,進化学の方法論だけではなく,適応度の解釈や系統推定論,さらには倫理の起源や機能の問題などにわたって多様な展開を見せている,このような生物学の哲学の現代的論議は「進化学はなぜ哲学を問題にするのか」という問題意識のもとに展開されてきた面がある.その一方で,進化学者の側からの「哲学はなぜ進化学を問題とするのか」という問いかけは十分に検討されてきたとはいえない.今回は,生物学の哲学の「いま」を代表するいくつかの具体的テーマを通じて,この問いかけに答えてみたい.

講演予定者

  • 三中 信宏(農環研/東大・院・農学生命科学)「進化学と生物学哲学の視線の交わり:趣旨説明に代えて」
  • 森元 良太(慶應義塾大・文・哲学)「決定論と確率概念:進化論的世界観とは」
  • 南部 龍佑(上智大・院・哲学)「生物はいかにして体系化されるべきか:系統樹の二つの顔」
  • 田中 泉吏(京大・文・科学哲学科学史)「道徳性の進化:生物学の哲学の観点から」
  • 網谷 祐一(ブリティッシュ・コロンビア大学・哲学科)「種問題と哲学」

うわー。おもしろそう。行きたい。けど行けない。無念。

でも19:30だからぎりぎり間に合うかな。うーん。どうしよう...

涜書:ヒューズ&シャロック『社会調査の哲学』

今週は PhSR 週間。

The Philosophy of Social Research (Longman Social Research Series)

The Philosophy of Social Research (Longman Social Research Series)

第四章「規則・動機・社会的行為の記述」


イギリス人の英語むつかしすぎ。

涜書:『20世紀ドイツの政治理論』

夕食前半。

ソーンヒルの本に いんすぱいや〜された特集だそうです。
現代ドイツの政治思想家―ウェーバーからルーマンまで

現代ドイツの政治思想家―ウェーバーからルーマンまで


とりあえず、

抱腹絶倒七転八倒しながら読んだあと

  • 永井健晴、「ユルゲン・ハーバマスの政治理論」
  • 加藤秀治郎、「ダーレンドルフの政治・社会理論──ドイツ・欧州の政治・社会動向とからめて」

を読んで、あとぱらぱらしてみた。


「20年前の自分のラベリング id:contractio:20060809:1155096395 は間違っていた」(大意)と小野さんはおっしゃるのですが...。しかしねぇ。
 ほとんどのどの著作でもそうだけど、ルーマンの議論は、主張(に見えるところ)の「骨子」だけ抜き出してしまえば、おおむね糞常識的なものであるか、まるのままほぼそのまんまな先行研究があるか、という事情があるわけで。

たとえば『宗教の機能』であればトレルチとかターナーとかとかの議論が先にあり、『情熱としての愛』であれば愛の概念史研究が先にあり、などなど。

だからそこルーマンの議論の眼目があるわきゃーないわけです。ふつーに糞常識的に考えて。
それ──私の謂う*1ルーマンに新しいものなし」という事情──を気にせずに「主張」を「理論」として「要約」してしまえば、取り出せるのは「どこかでみた糞のように常識的なよくある議論」なだけですよ。

そういう点で言えば、そのレベルルーマンを読んでいるひとは、
「そんなつまらない読み方をして いったい何が嬉しいのですか」と尋ねたくなるけど、
要するに、単に教養に問題があるだけな なんか間違っちゃってる わけであります。

「政治システム」についての議論もことは同様であるわけでして、そういう仕方で糞常識

ex.「政治っていうのは Politik と Verwaltung と Publikum からなりますよね」とか

を「骨子」としてまとめて「ルーマン政治理論」と呼んでみせたうえで、しかもそこに、研究するまえからあらかじめもっていたであろうラベル(「リベラリズム」とか「ネオリベ」とか「保守」とか「テクノクラティック」でもなんでもいいけど)を──そのラベルについてのなんの吟味もなしに──ペタリと貼付けるようなやりかたで論文を書くから、ヘンなことになるんじゃないですかねぇ。

前者はほとんどルーマンの側に責があるけど、後者はそうじゃないですわな。

「20年前の小野さんが間違っていて、今回のは正しい」わけではなく、またその逆でもなく、敢えて言えば「どっちも──おなじ仕方で──間違っている(=ラベルを張り替えただけ)」ってことはありませんか〜??


まぁこれ↑を「ルーマンの擁護」として読まれてしまうと私も困るのですがー(大笑。


ところで政治学会の年報というものを初めて読んだのですが、文末に「今年の収穫」的な文献紹介がのっているのがとても素晴らしいとおもいます。


ところでこっち↓のほうは読んでみた?>yutacake

Niklas Luhmann's Theory of Politics and Law

Niklas Luhmann's Theory of Politics and Law

ペーパーバックも出たようです。asin:1403998019

*1:©西田幾多郎 et al.

若桑/加藤/皆川/赤石編『「ジェンダー」の危機を超える!』

夕食後半。やっと届いた。

  • 刊行にあたって 米田佐代子
  • はじめに 皆川満寿美/赤石千代子
  • 序章 「渦中の人」から 上野千鶴子
    • 1 経過──いくつものアクターが関与して日の目を見た事件
    • 2 評価──バックラッシュがもたらした逆説的貢献
    • 3 背景──根が深い反動派の動き
    • 4 見通し──絶望しているひまなんかない

ジェンダー」をめぐるポリティックス

まで。


このくらいにして PhSR をやらんとー....