二クラス・ルーマン『社会の法』

「12/3刊行。今度こそほんと」という情報を(真に)受け本屋に日参していた昨今であったのに、昨日だけは逝かなかった。で、その昨日、ようやくならんだようだ。くそ。

ともかくも、先ほど ようやく購入。
で、上巻だけを読み終わった時点での印象だが、これは買い。ルーマンの著作としてはかなりまとも」です。両方揃えるとほぼ1万円という洒落にもならない価格設定だが、金があるなら買ったほうがいい。ないなら、図書館にいれよう。
 この(ある程度の)読みやすさが なんに起因するかといえば。題材が手慣れたものであるということ。そして、ルーマン自身の(あるいはトイプナーなども含めて)先行著作に対する批判を、あるい程度はふまえた記述になっているせいか*1。つまり、自分の記述がどんな誤解を受けるのかをふまえた上での記述になっている*2(w、というほど。のことかもしれない。

なにしろ邦訳で二巻本であり「読むのたいへん」だ。 それに──上巻だけを読んだ限りでは──目新しいと思えるような論点提示は あまりない(ようだ)。 が、そうだからこそ、この本はお勧め。手短な記述に幻惑*3される、という余地が(まぁ*4)少ないし、例示も(まぁ)豊富。記述の飛躍も(まぁ)少ない。

とにかく、『社会的システムたち』(1984)をはじめて読んだときの、あの、五里霧中下をフルフェイスヘルメットにサングラスを装着しつつホフク前進させられているような感覚は、ほとんどない。 こちらの読み手としてのスキルも上がっているってことなのか、とも思ったが、やはりそれはあまり関係ないような気がする。 たとえば一昨年、読書会を開いて読んだ『社会の芸術』(1995:ほぼ同じ時期)は、衝撃的に理解困難(wだったわけで。 とりあえずその意味では、『社会の法』(1993)は、「よい」(飽くまで括弧付きですが)本ではないかと思う。

なにより、「この訳、だいじょうぶなのか?」という心配をしないで読める、というのが一番ありがたい(藁。 ──というか、藁えないが。

*1:というか、こんなことは「著述家としてあたりまえのこと」だと思うのだが。ルーマンはその「あたりまえ」のことが できない人なのだった(;´д⊂)

*2:と言うと、「書いてないんだよ。口述なんだから」(大意)とBB氏に突っ込まれる罠。

*3:「薄いから」という理由で、『自己言及性について』とか『パラダイム・ロスト』(1990)とかから手を出してしまうと....

*4:あくまで比較の問題だが。当者比。