徒労

インター・コミュニケーションの一番新しいやつの斎藤環さんの連載でルーマソを使っているのに「間主体性」という言葉が出て来ていました。誰かルーマン屋さんが突っ込んであげるべきだと思います。

11/29の北田暁大さんの講演会で触れられていたので、私も(講演会のあとで)数年ぶりにこの雑誌を手に取りました。で、斎藤さんの論考にも目は通しましたが、残念ながら読んでいる途中で気が遠くなってきてしまい、「身体に悪い」と思ったので 途中で読むのを断念。 「ルーマン屋さん」たちに この論考への反論を期待するのは、負担が大きすぎて、ちょっとかわいそうかも。 だって「ちゃんとは読まずに書いた」ってのが読み手にバレてしまう文章なので、まずは、「まずはちゃんと読んでからにしたら?」と言うところから始めなきゃならないわけで。 ‥‥そりゃしんどすぎますわ。
 というか、私、この方の文章を初めて読んだのですが──この方、著作がたくさんあるらしい*1ですけども──、いつも こんな感じ(つまり、こんなに「勇気ある文章」を発表されている方)なのでしょうか。というの(だけ)が ほ-ん-の ちょっと (だけ)気になるところでした。身銭を切って「確認」したいとまでは思いませんけれど....。怖いもの見たくなさというか見たくたくない現実を見たくないというか。

  • ただし、少し“同情(?共感?)”したくなる面もあります。私が思うに、そもそも「ダブルコンティンジェンシー」という概念をルーマン理解の中心に据える*2、というのが道の踏み外しの はじめの一歩 なんですけど(w*3、しかし、ともかくもルーマン自身が「ダブルコンティンジェンシー」という概念を、読者がそれを中心に考えたくもなってしまうような形で使ってしまっているのでした。だから責任の何割かはルーマン自身にあるとも思う(この点についてルーマンを擁護する気は、私にはさらさらないです)。実際、「研究者」にも、この概念の(一見したところの)「理解の容易さ」によりかかって──よくよく考え抜いたうえでそうしているのかどうか、はなはだ怪しい仕方で──陳述を進めるヤシはいるので。 なので、私としては、そういう方*4にこそ、ご自分の発言に責任をとっていただく意味でも、斎藤さんの議論にちゃんと反論してほしいと思うところです。
    • たぶんそういう方は、気が遠くなったりしないでしょうし。

*1:本屋にたくさん並んでるのをみたことがあるってだけですが。

*2:中心にすえるべきはあくまで、〈伝達/情報〉の区別[=理解]のほうである。

*3:禁じられてはいないが危険な道、ということ。

*4:=ダブコン概念に依拠してルーマン理論を云々した論文を書いたことのある方。