文明化の過程:エラスムス

エリアス本引用、その2。
ここは「ゼマンティク論」との類縁性を みてとりたくなってしまうところ(のたとえば一つ)。

[略] すでに十六世紀において、[エラスムス『少年礼儀作法論』の影響下で]フランスの活字のある特定の型のものが「礼儀civilite」という名前で呼ばれるようになった。[略]

 この場合、言葉の歴史によく見られることだが、のちに再び「礼儀civilite」という概念が「文明化civilization」という概念に進んでいく際に見られるように、ただひとりの人がその原動力を与えたのである。エラスムスはかれの著作を通じて、古くからよく知られていてよく用いられた《civilitas》という言葉の意味を新たに極端化し、新たな働きをこの言葉に与えた。しかし、かれがそれを知っていたか知らなかったかは別として、そうすることによってかれは、明らかにこの時代の社会的要求に合致したものを示したのである。《civilitas》という概念はそれ以後、この著作のテーマによって得られたあの独特の意味で、人間の意識に固定した。そして広く用いられているさまざまな言語で、これに相応する流行語がつくられた。フランス語の《civilite》、英語の《civility》、イタリア語の《civilita》、さらにドイツ語の《Zivilitaet》がそうである。[略]

 言語の内部で ある種の言葉が、このように多かれ少なかれ突然に出現することは、ほとんどつねに、人間自身の生活における変化を示している。この概念のように、舞台の中央に登場して、長い間にわたって生き続けるように定められている概念が問題となる場合は特にそうである。

 [略]この著作は個別的な現象、個人的な著作として、というよりもむしろ、ある変化の徴候として、社会的な出来事の具体化として、その全く特別な意味を持つようになる。この著作へ目を向けさせるものは、その反響であり、その表題の言葉がヨーロッパ社会における自己解釈の中心的表現になっていたことである。

 この著作は何をあつかっているのだろうか。
 そのテーマからすると、何に対して、どういう意味で新しい概念が必要とされたか、を明らかにしようとしている。また、流行語として、この概念を高く掲げた社会的変動と社会的過程への指摘を含んでいるはずである。(エリアス『文明化の過程』上巻 p.140-3)

最後の文意味不明。