再訪:非連続性/認識論的断絶/長期持続

めずらしく(?) contractio さんがなにに悩んでいるのかがいまいちよくわからない今日このごろ。

お気づかい(?)ありがとうございます。(コメントどうもです。)

どうもフーコーはそこ(59「科学の考古学について」)で[‥]、少なくとも

  • (1)エピステモロジーの非連続性
  • (2)アナールの連続性(長期持続)
  • (3)(1)(2)を区別すること=非連続性を働かせること=歴史家たちの仕事

という三つのことをいっているように思える。で、(1)(2)だけを見るとパラドクシカルだけれども、(3)をも考慮に入れれば*1、そんなことはないよ、というハナシのような。

ふむ。
「(1)(2)を区別すること=非連続性を働かせること」ではないですよね。「(1) のひとも (2) のひとも、どちらも非連続性を働かせて仕事をしている(そしてそれが歴史家の仕事である)」といっているのだと思います。
なので、

  • (1)エピステモロジーの非連続性[歴史家1]
  • (2)アナールの連続性(長期持続)[歴史家2]
  • (3)非連続性を働かせること=歴史家1&2に共通の仕事

と書いた方がいいように思います。

で、「非連続性」によって自らの作業領域をどのように打ち立てるか、が、ここで議論されているのだと思います。


そして、

とはいえ──上のように解釈して(3)を考慮に入れたとしても──(1)(2)の並列が「どのような意味で」パラドクスではないかについては述べられていないか。

と、いうことではなくて、「(3) が ちゃんと示されていない」(のはおかしい)といって、私は困っていたのでした。

「(3)が ちゃんと示されている」なら、それで当初のパラドクスは解消しています。
ちなみにdenebさんは、論考中のどこで (3) が示されている、と思いますか?


換言。
「いってくれればよかったこと=いっててくれてないと困ること」は、

    • 「認識論的断絶」はどういういみで「非連続性」とかかわっているか

ならびに

    • 「長期持続」はどういういみで「非連続性」とかかわっているか

双方です。(そうすることによって、「非連続性」というパースペクティヴのもとで「断絶」と「長期持続」が統一的に理解できれば、それで「パラドクス」は解消=解決したことになるはずですから*1。)

さて、寝なきゃ♪

*1:「問題解決」の方向は こうでしかありえない、とまで主張する自信はないですが。しかしもっとも素直に「メタなレベルにハナシを移せば」、議論はこうなるのでは?