憑依祭り:ルーマン『社会の芸術』

車中後半。3章。


途中まで──ほとんど章の最後まで──

  • 知覚メディアの多様さにもかかわらず、いかにして「芸術一般」などというものについて──あるいはまた「芸術のメディア」などというものについて──語りうるのか?

という問いに答えることを、ルーマンが自らに対して課しているかのように読めてしまうのだが、

したがって読者としては、「なぜそんな事を社会学者が問うたり・それに答えを与ようとしたりしなければならないのだ???」
そんなことは芸術屋にまかせておけばいんじゃねーの??
と訝しみながら陳述に付き合うことになりもするのだが、

最後の最後で「スタイル」概念が登場することによって 事柄が歴史に差し戻され、上記の問いに

  • 芸術(史)がいかなる答えを与えたか

の記述のほうにシフトする。──それなら納得。
そして、ここで登場する「スタイル」概念は、著作全体にとっての最重要キーワードになっており、議論は 4章(分化)&5章(プログラム化)に引き継がれることになる。

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

第3章 メディアと形式

  • I 「メディア/形式」の区別
  • II 芸術のメディア
  • III メディアとしての空間/時間
  • IV 芸術メディアの多様性と統一性
  • V 言語というメディア
  • VI 芸術作品のありそうになさ
  • VII 芸術の不変性と可変性

花崗岩/大理石」に注つける訳者たん萌え〜〜〜〜。

すさまじいまでの訳注だが、この厳しい出版状況のなかでなんでこんな贅沢ができたのか激しく謎。


注(7)。ルースカップリングについて。

Der Prozess des Organisierens

Der Prozess des Organisierens

対応する英語著作はないのかな?

ところでポストモダン経営学と批判的経営学はどっちが強いですか。