朝食。
秋のトッシキ祭り。「組織」について。
- 作者: Niklas Luhmann
- 出版社/メーカー: Suhrkamp Verlag AG
- 発売日: 2009/09/01
- メディア: ペーパーバック
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- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,土方昭,三瓶憲彦
- 出版社/メーカー: 新泉社
- 発売日: 1999/05/01
- メディア: 単行本
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『啓蒙2』の「組織の一般理論」論考に登場する〈組織における3種の「決定前提についての決定」〉が、ここでは「内的閉鎖」という意匠のもとで登場する──
すぐうしろにも再登場↓
「組織」の「境界設定原理」は 成員性membership である ‥‥と、しばしば謂われる。ルーマンもその見解を引き継いでいる。しかしこのテーゼは、議論を 組織の定義問題に関する袋小路に追いやるものである*。
* そうした議論がどのようにデッドエンドに至るか、という歴史 については、たとえばこの↓著作が 概観を与えてくれる:
- 作者: 高尾義明
- 出版社/メーカー: 白桃書房
- 発売日: 2005/04/01
- メディア: 単行本
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** 著者が、組織境界の問題を、「理論的に」解決されるべき事柄だと考えているのなら──そのようにみえるのだが──、「いっしょに突き進んでいる」のである。(そしてそう考えている限り、最初から「組織-の-オー■ポイエーシス」を解明する構えはとっていないことにもなる。その場合、「組織はオート■イエティックであるか否か」についての著者の判断は──学説の吟味によって獲得されたものではなくて──著者がはじめから採用している「理論的な構え」によって、おのずと・あらかじめ決まってしまっているように、読者(=私)からは みえることになる。)
それはそうなのだが、5章の議論をみると──いつもそうであるとおりここでも──ルーマンは、私の想像を少し超えていて、私が考えているよりも もうちょっと偉いようだ。ここでは、「成員性」は、まずは確かに「組織の境界設定」というトピックとともに登場する。が、しかしそれは「決定は どのようにどこに帰属されるか」という問いのコンテクストの中で、でもある。──およそ問と解の存するところ、おのずとまた機能的等価物も存す。(そして派生的諸問題もまた....。)
まずは「境界設定原理」のような言葉遣いをやめるべきだろう。(おそらくルーマンは、一方では本気でそう考えているから こういう言葉遣いをするのだと思うのだが。 )
論じられるべきなのは──そうした言葉遣いによって見えにくくされている──「決定」のほうである。つまり、決定(というコミュニケーション)の接続様式こそが
焦点化されるべきだし、 解明explicate されるべきなのである。「原理」や「定義」に頼ることなく。
ルーマンはこの章で、それを──少なくともちょっとだけは──やっている。
少し偉い。