ひさびさ。ルーマン読書会:http://groups.google.co.jp/group/Sendai_Luhmann
第二章「法システムの作動上の閉鎖性」第8節。
象徴的に一般化したコミュニケーション・メディアのメディア・シンボルとしての「法的妥当」について。
- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,馬場靖雄,江口厚仁,上村隆広
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2003/12
- メディア: 単行本
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2章8節のテーマは いわゆる「メディアの流通(circulation)」なのだが、不思議な点が二つある。
一つは「コミュニケーション・メディア」という言葉が出てこない*(!)こと。もう一つは、(法的妥当というメディアの)メディア素材(substrat)
貨幣メディアにおける「支払い可能性」、権力メディアにおける「権力目標とサンクション手段」などに相当するもの
についての議論が見当たらない(?)こと。
前者はさておき後者の事情があるために、議論を追うのがたいへん難しい。
* というだけでなく、そもそもこの著作の他の部分にも、「コミュニケーション・メディア」という言葉がほとんど登場しない。相当不思議な感じがする。
「伝播メディア」と「意味というメディア」についての議論が数回登場するほかには、「コードとプログラム」のところでちょっと出てくるだけ)。
ちなみに、『法理論のルーマン』を確認してみたが、そもそもこの点は話題にもなっていない(「メディア・コード」については触れられていても、「メディア・シンボル」については議論されていない)。残念。対照と関係づけ
[03-04] | 正統性 |
---|---|
[04-06] | 法源 |
[認識:08, 規範:03/09-12] | 〈事実(認識)/規範〉・〈存在/当為〉 |
[13] | サンクション |
[13] | 〈合法/不法〉 |
[19-20] | 存続・根拠 |
14-18 が「メディアの流通(or 循環)」論。
「法的妥当」というメディア・シンボルについてのミニマム・テーゼ
- このシンボルのうちに現れているのは、「法がある状態から別の状態への移行を成し遂げる」ということ。
- このシンボルが意味するのは、〈以前に妥当していた法の状態/今後において妥当する法の状態〉という差異の統一性。 [p.107]
このシンボルは存続のシンボルではない。[p.113]
本日の「ルーマンはこう書いた方がよかった」:第2章8節16段落
- 「妥当の移送」は、
- 「法的決定*」においては生じるが、「(法的決定の)通知」においては生じない。また
- 「遺言」(のような拘束力のある単独意思表示)においては生じるが、「遺言人の死」(のような法的事実)においては生じない。
- このように、すべての法的作動に「妥当の移送」がともなうわけではない。したがって、「法的作動」と「法的妥当の移送」を同一視することはできない。
* なおここでいう「法的決定」という言葉には──立法や判決だけでなく──「社団の設立行為」や「契約締結」なども含む。