ルーマン『社会の法』

ひさびさ。ルーマン読書会:http://groups.google.co.jp/group/Sendai_Luhmann
第二章「法システムの作動上の閉鎖性」第8節。
象徴的に一般化したコミュニケーション・メディアのメディア・シンボルとしての「法的妥当」について。

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

社会の法〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)

2章8節のテーマは いわゆる「メディアの流通(circulation)」なのだが、不思議な点が二つある。
一つは「コミュニケーション・メディア」という言葉が出てこない*(!)こと。もう一つは、(法的妥当というメディアの)メディア素材(substrat)

貨幣メディアにおける「支払い可能性」、権力メディアにおける「権力目標とサンクション手段」などに相当するもの

についての議論が見当たらない(?)こと。
前者はさておき後者の事情があるために、議論を追うのがたいへん難しい。

* というだけでなく、そもそもこの著作の他の部分にも、「コミュニケーション・メディア」という言葉がほとんど登場しない。相当不思議な感じがする。
「伝播メディア」と「意味というメディア」についての議論が数回登場するほかには、「コードとプログラム」のところでちょっと出てくるだけ)。
ちなみに、『法理論のルーマン』を確認してみたが、そもそもこの点は話題にもなっていない(「メディア・コード」については触れられていても、「メディア・シンボル」については議論されていない)。残念。



対照と関係づけ
[03-04]正統性
[04-06]法源
[認識:08, 規範:03/09-12]〈事実(認識)/規範〉・〈存在/当為〉
[13]サンクション
[13]〈合法/不法〉
[19-20]存続・根拠

14-18 が「メディアの流通(or 循環)」論。

「法的妥当」というメディア・シンボルについてのミニマム・テーゼ
  • このシンボルのうちに現れているのは、「法がある状態から別の状態への移行を成し遂げる」ということ。
  • このシンボルが意味するのは、〈以前に妥当していた法の状態/今後において妥当する法の状態〉という差異の統一性。 [p.107]
このシンボルは存続のシンボルではない。[p.113]



本日の「ルーマンはこう書いた方がよかった」:第2章8節16段落

  • 「妥当の移送」は、
    • 「法的決定*」においては生じるが、「(法的決定の)通知」においては生じない。また
    • 「遺言」(のような拘束力のある単独意思表示)においては生じるが、「遺言人の死」(のような法的事実)においては生じない。
  • このように、すべての法的作動に「妥当の移送」がともなうわけではない。したがって、「法的作動」と「法的妥当の移送」を同一視することはできない。
* なおここでいう「法的決定」という言葉には──立法や判決だけでなく──「社団の設立行為」や「契約締結」なども含む。