朝食前半。
- Niklas Luhmann, "Der Funktionsbegriff in der Verwaltungswissenschaft", Verwaltungsarchiv 49 (1958), pp. 97-105
ちょっと自信ない──し、つづけて検討が必要だ──が、ここで「決定」と言われているのは、『社会的システムたち』の〈システム/環境〉の章に登場する「集合的決定」のことだとおもわれる:
「集合的決定」は──なんら摩訶不思議な概念ではなく── シンボルを通じた-複数の行為の-特定の行為への-帰属 を意味する。トッシキが問題にする「(ルーマン)という外部観察者によるシステムの恣意的な同定」(大意)なる批判(於↓)は、おそらくここではあたらない。
議論のここにおいては、「ルーマンの問題」は、帰属過程を前景化していながら、にもかかわらず それを ち_ゃ_ん_と_記_述_す_る すべを──ほぼまるで──持っていない、ということのほうにこそある。と私は思う。
そしてまたこのことが そのまま、「経験的な学として致命的」である──と私が惟う──理由となる。(議論の他の場所──たとえば「ゲゼルシャフト」──では、話はまた異なるが。)
- 作者: 盛山和夫,野宮大志郎,土場学,織田輝哉
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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そしてまたこのことが そのまま、「経験的な学として致命的」である──と私が惟う──理由となる。(議論の他の場所──たとえば「ゲゼルシャフト」──では、話はまた異なるが。)
朝食後半。
- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,村上淳一
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2004/09/01
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- 第三章 媒質と形式
- 第四章 相互行為システムとしての授業
- 第五章 教育システムの分離
- 第六章 再特殊化:プロフェッションと組織
二つの道具立て──メディア[3] と〈組織/相互行為〉[4+6] ──で 分化 を論じる、5章を中心とした ひとかたまり。
この本での〈相互行為(/組織)〉規定はそうとうあやしい。他の著作での陳述と比べてもずっと、トッシキの批判がもっともなものに思われてしまう度高し。