涜書:ルーマン「行政学における機能概念」/『社会の教育システム』

朝食前半。

  • Niklas Luhmann, "Der Funktionsbegriff in der Verwaltungswissenschaft", Verwaltungsarchiv 49 (1958), pp. 97-105

ちょっと自信ない──し、つづけて検討が必要だ──が、ここで「決定」と言われているのは、『社会的システムたち』の〈システム/環境〉の章に登場する「集合的決定」のことだとおもわれる:

「集合的決定」は──なんら摩訶不思議な概念ではなく── シンボルを通じた-複数の行為の-特定の行為への-帰属 を意味する。トッシキが問題にする「(ルーマン)という外部観察者によるシステムの恣意的な同定」(大意)なる批判(於↓)は、おそらくここではあたらない。
「社会」への知/現代社会学の理論と方法〈上〉理論知の現在

「社会」への知/現代社会学の理論と方法〈上〉理論知の現在

議論のここにおいては、「ルーマンの問題」は、帰属過程を前景化していながら、にもかかわらず それを ち_ゃ_ん_と_記_述_す_る すべを──ほぼまるで──持っていない、ということのほうにこそある。と私は思う。
そしてまたこのことが そのまま、「経験的な学として致命的」である──と私が惟う──理由となる。(議論の他の場所──たとえば「ゲゼルシャフト」──では、話はまた異なるが。)


朝食後半。

社会の教育システム

社会の教育システム

    • 第三章 媒質と形式
    • 第四章 相互行為システムとしての授業
  • 第五章 教育システムの分離
    • 第六章 再特殊化:プロフェッションと組織

二つの道具立て──メディア[3] と〈組織/相互行為〉[4+6] ──で 分化 を論じる、5章を中心とした ひとかたまり。


この本での〈相互行為(/組織)〉規定はそうとうあやしい。他の著作での陳述と比べてもずっと、トッシキの批判がもっともなものに思われてしまう度高し。