宴の支度:片桐『自己と「語り」の社会学』

そろそろ配布資料とかつくりあげないとやばい。んですが。


夕食。2000年の著作。

自己と「語り」の社会学―構築主義的展開

自己と「語り」の社会学―構築主義的展開

あれー???「ミクロ-マクロ」って言ってるねぇ。

目次

I 自己の構築

  • 第1章 シンボリック相互作用論をめぐる二つの争点──基本的視座を求めて
    • 第1節 ミクロ・マクロ問題
    • 第2節 自己の構築主義
    • おわりに
  • 第2章 シンボルによる自己の構築
    • 第1節 自己への「記号学」的視点
    • 第2節 シンボリック相互作用論の自己論
    • 第3節 自己の構築の素材としてのシンボル──役割と物語
    • 第4節 自己の構築性と主体性
    • おわりに
  • 第3章 相互行為と自己
    • 第1節 役割理論再考のための理論的な枠組──構築主義的な役割理論へ
    • 第2節 シンボル論から見た自己と役割
    • 第3節 役割取得と自己の構築
    • おわりに
  • 第4章 リアルセルフ論再考
    • 第1節 「制度的リアルセルフ」と「衝動的リアルセルフ」をめぐる争点
    • 第2節 感情の社会学の視点
    • 第3節 語彙としての動機
    • 第4節 「動機の語彙の知識社会学」から「自己の『語り』の知識社会学」へ

まで読んで、あとはぱらぱらと。

II 自己の「語り」の変遷

  • 第5章 日本における自己の「語り」の変遷──人間類型の変遷をとおして
  • 第6章 人生論における「語り」の変遷──武者小路実篤から中野孝次まで
  • 第7章 アメリカにおける自己の「語り」の変遷──自己論の変遷を中心として

III 補考と展望

  • 第8章 ポストモダン的な自己論とシンボリック相互作用論の立場
  • 終 章 結語として



アレグザンダーの分類 p.5-6

1)自由な 試行的*な行為をとおした、合理的で目的志向的な個人による社会の創造を前提とするもの。 行動主義、合理的選択理論
2)自由な試行的な行為をとおした、解釈的な個人による社会の創造を前提とするもの。 現象学的社会学、シンボリック相互行為論
3)自由な試行的な行為をとおして、社会化された個人が、集合的諸力としての社会を再創造するという見方を前提とするもの。 ミクロ・マクロな社会理論の統合を方向付けるもの。
4)現存する社会環境をミクロ領域へと変換することによって、社会化された個人が社会を再生産するという見方を前提とするもの。 デュルケーム
5)外的、社会的な統制を強制されることによって、合理的、目的志向的な個人が社会に同調するという見方を前提とするもの。 マルクス
* contingent

ちょwww  すまんが なに言ってるかわからん。

EMとかルーマンとかは いったいどこに入れるつもりなんだ?>アレグザンダー
→答えはこちら


と。そのアレグザンダー分類を掲示したうえで、先生の曰く:

意味・解釈の社会学再考のために、シンボリック相互作用論が(3)の方向性をもつ理論であるという読み直しを次に試みることにしよう。[p.8]

ガーーーーーーΣ(゚Д゚)ーーーーーーン
では、それ(=(3))はいったいどういうのかというと‥‥

  • 個人を超えた集合的諸力としての社会が個人によって試行的に再-創造されるとする点
  • 再-創造の担い手も、そのためのプログラムをあらかじめ与えられているとする点

で、マクロ的視点とミクロ的視点とを統合しようとするもの [p.8]

であるらしい!

シンボリック相互行為論の役割理論は、社会化された個人の試行的な行為による相互行為の再-創造という点で、むしろ(3)の社会理論に位置づけられるべき視点をもっている[p.10]

それ、うれしいのか?

役割形成とは、役割についての「自由な」創造や変革をかならずしも意味するのではなく、役割行為の試行性を意味するものであった。役割は従来の役割理論が前提としていたように、「社会システム」に張り付いた構造的要素ではなく、社会構造はむしろ役割を人々が用いることによって相互行為の中で達成されていくものである。
 そして、自己の構築もこのような相互行為の構築と無縁ではない。自己はシンボルによって構築されるものと考えたが、その構築は、同時に、相互行為の過程の中で達成されていくものである。[‥] 自己の構築は、相互行為が構造的なものとして構築されていく過程と不可分である。[p.19-20]

あー。新刊の要約になってますね。