第11回出版準備研究会

@池袋
逝ってきます。


逝ってきた。

ディスカッション時および「夜の部」にて、フーコーがもちいる「実定性」なる謎の言葉についてしつこくあれこれ尋く*。丁寧につきあってもらい──納得するまでにはいたらなかったものの──疑問のいくつかは解消。ありがたし。

* 私の疑問は簡単である。
「見えるもの」と「それが見えるということ」は違うじゃん。
現出者と現出、存在者と存在──現実性と可能性、要素とシステム──は違うじゃん。
で、「実定的」というのは ふつう**「見えるもの」──知覚可能な具体物──に用いる言葉だよ。でもフーコーはそれを 〈見えるもの/見えること〉の統一 を指すのに使ってない? それっておかしくない? つーか意味わかんね。──ということ。
** 概念史的に言って、ということね。たとえば「神の意志により定立poseされて」という場合でも***、――もっとずっと新しい――「positive law[←人の意志によって書かれた具体的な文からなり、そうであるがゆえに書き換えることができる]」とか「logical positivism」──「意識の直接与件」に基づいて論理的推論によって理論を組み立てる──といういい方においても、それはあてはまる。
前二者の反対語は「natural」か。
*** もっともこいつの場合、「神の意志によるので人間には見えないけど(在る)」とかいうことはありえようが。


【追記】
さらに省察してみるに、もしも同じことが、例えば「visibility」とかと呼ばれたのなら気持ち悪くないかもしれない、ということに気がついた。


いずれにしても、『言葉と物』期の著作を読みつつもういちど考えてみなければなりませんな。

臨床医学の誕生

臨床医学の誕生

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学


■参照文献(抜粋)
いくつかを購入。アマゾンで学会誌が購入できる学会は、由緒正しい(=古い)学会だということなのであろうか。