夕食終盤。
- 宇城輝人、「社会的なものへの敵意」in isbn:9784791711680
なんと。ボードリヤール論であった。しかも短すぎる。
ここで「マス」と呼ばれているのは、「ゲゼルシャフトのサブシステム-にとっての-内部環境(-としてのゲゼルシャフト)」のことであるようにおもわれる*。
* そこからすぐに帰結するのは、「マス」は一つではない という洞察であるが、
ルーマンのテクストにおいて「それ」は、参照システムに応じて 違う仕方で登場する: 世論、市場、etc.
ボードリヤールのほうは、このテーゼを認めないのではないか、という気はする。その点にさえ気付けば、著者のまとめに従ってボードリヤールとルーマンの距離を測ることは、比較的容易に行なえそうだ。やってみればいいのに。>誰か