天童編『育児戦略の社会学』

昼食&夕食。
届いた。瞬殺。

育児戦略の社会学―育児雑誌の変容と再生産

育児戦略の社会学―育児雑誌の変容と再生産

  • 育児知識と育児戦略  [天童睦子]
  1. 育児メディアの変遷と「母」の再生産  [天童睦子]
  2. 資源としての育児雑誌  [高橋 均/天童睦子]
  3. 育児言説の歴史的変容  [高橋 均]
  4. 「子ども中心主義」のパラドックス  [石黒万里子]
  5. 少子化時代の育児戦略とジェンダー  [天童睦子]
  6. 子育てネットワークと母親たちのライフストーリー  [加藤美帆]
  7. 戦略としてのヴォイスとその可能性  [高橋 均]
  8. 育児知識の生成・伝達・受容  [柴野昌山]

わーい。判断力喪失者がたくさんでてくるよー。いやぁ、教育社会学って、ほんとにオモシロイですね(棒読み
ところで、「見えない権力関係」とかって自分で名付けておいて、でも自分にはそれが見えてるように語るのは何故ですか。

見えてるからですかそうですか。なんだ見えてんじゃん!


[いつか読む]

“教育”の社会学理論―象徴統制、“教育”の言説、アイデンティティ (叢書・ウニベルシタス)

“教育”の社会学理論―象徴統制、“教育”の言説、アイデンティティ (叢書・ウニベルシタス)



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■第一章

  • [えーっと...]

■第二章(過去三十年間にわたる育児雑誌の内容分析/インタビュー調査)

  • 70年代は識者が読者に「正しい子育て」の啓蒙を行う(専門的・科学的知識の伝達)という傾向が強かった。
  • 80年代にはそれが補助的な位置にまわり、かわりに読者参加型・共感型・事例型の記事が増えたよ。

■第三章(明治大正昭和の育児言説の変遷)

  • 明治: 「婦人」登場! 母親には家庭と国家の連結が期待されたよ。
  • 大正: 「合理的育児」登場! 少なく産んで賢く育てる! 子ども中心主義
  • 昭和戦中期: 育児報国!
  • 70年代: 『ベビーエイジ』キター(1969/09) 「育児ノイローゼ」キター 「正当育児」!
  • 80年代: 母性神話に縛られるな言説登場! 近所づきあいストレス
  • 90年代: 脱ママ願望  「公園デビュー」(『google:プチタンファン』)

婦人雑誌から現代の育児雑誌に至る、育児期の女性向けメディアは、垂直的言説を基盤とした「見える」統制装置から、水平的言説を基盤とした「見えない」統制装置へと移行したのである。/「見えない」統制装置としての育児雑誌では、母親としてのあるべき基準が示されないがゆえに、今日、母親たちは一見、「母親であること」から自由な存在となっている。しかし、今日の育児雑誌が戦後の高度経済成長によって打ち立てられた性別役割分業を前提としている以上、育児雑誌はその装いを「見えない」統制装置へと変えながらも、依然として「母親の統制」という機能を保持し続けているのである。[p.103]

えーっと....。そういうことはあるのかもしれませんがー。
論考中でまったく吟味していない主張を結論に持ってくるってのはどういう了見ですか。どんな風に実際に 依然として機能を保持し続けている のかを教えていただきませんとー。


■第4章(「たまひよ」は誰が読んでいたのか)

育児雑誌とは、アルチュセールの概念を用いれば、マクロな構造を反映した主体生成のイデオロギー装置にあたる。[p.124]

そんなことを言ってみてなにがうれしいのか。

いままでの育児雑誌に満足していましたか? みんないっしょの妊娠、みんないっしょの育児スタイルってなんだか変! だって私は私なんだから……

『Baby-mo』は、いつも読んできたファッション雑誌の感覚。『赤ちゃんのいる生活』を、もっと楽しく過ごすための新しい雑誌です。


■第5章(えーっと... なんのはなしなのこれ???)

アレントクラシーとは、

子ども自身の努力や能力私大で社会的地位が決定するというメリトクラシーイデオロギーに替わって

親(大人)の「資本と意欲」にもとづく個人的「選択」が、育児と教育の戦略を大きく左右することを意味し、そこには「親になること・ならないこと」の選択という「再生産戦略」も含まれる。さらにペアレントクラシーは、子どもの養育を女性の責務とするジェンダー化された「みえない教育方法」を意味し、それは、ひそかな権力関係と統制の原理を内包したイデオロギー形態ということができる。[p.137]

この本の著者さんたちはみんな「見えないもの」フェチですね。


■第6章(母親のライフストーリー 聞き取り調査)



子どもという価値―少子化時代の女性の心理 (中公新書)

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