研究会(独り)振り返り祭り: 第五回 - マイケル・リンチのイアン・ハッキング評

2006年2月7日最終セッション。51分間分のディスカッションを(独り)振り返る。

  • Michael Lynch 1995 "Narrative hooks and paper trails: The writing of memory," (Review Symposium on Ian Hacking), History of the Human Sciences, 8-4, pp.118-128



リンチ自身による批判まとめ

  1. ハッキングの分析は、深層の知的起源に肩入れして記憶政治学産出の領域から後退してしまいがち。
  2. ハッキングは[『Rewriting the Soul』というタイトルをつけたわけだが]、文字通り「書く - 書き直す」という活動を それとして扱うこともできた筈。

活動/達成: リンチ先生曰く

法廷であれセラピーであれ、

  • ある種の想起には、「想起していることを達成する」ことを示すための活動として使えるリソースがあるよ
  • 法廷とセラピーでは、そのリソースが違うよ


前半は みんな押し黙りがち。

  • 18'00''あたり [u/m]: 「論理的」と「〈使用前/使用後〉的」。 [4節「日常言語派哲学との関係」最終段落]
社会学者の仕事と科学史家の仕事 (それは別の仕事です。)
  • 23'00''あたり [i]: 「装置」が説明項に見えてしまう陳述の形式。
「装置」が運用される-そのやり方 のほうを みせるような記述作法をとらないといけないよ。
  • アプリオリ」という語が気持ち悪い理由は、──「使用にとって-構成的」というだけでなく──「使用において-構成的」というニュアンスが 感じられないから。
    • ただし、使わないと仕事のハードルがひとつ上がるんじゃね?
  • 37'00''あたり [i]: 「後期フーコー」は、その点でハードルを一つ上げた 説。(←「歴史的アプリオリ」という語を捨てた理由)
    • [n] リンチがクルター報告〈コンティンジェント/アプリオリに噛み付いたエピソード。
  • 45'50'' [u]: 資料/史料の具体性 が見えないと、「前提・文法の記述」が 単なる「概説」(〜古い社会思想史)に見えちゃうってのがありがち。
そのやり方で数百年スパンの記述ができればコレージュ・ド・フランスに就職できるんじゃね♪