吉本隆明(1990)『マチウ書試論 転向論』

1950-60年代の論考を集めたもの。

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)

マチウ書試論・転向論 (講談社文芸文庫)

  • I
    • 恋唄
    • エイリアンの手記と詩
    • 異神
    • マチウ書試論 (昭和29年)
  • II
  • 宗祇論
  • 蕪村詩のイデオロギイ
  • 鮎川信夫
  • 戦後詩人論

  • III
    • 芥川竜之介の死 
    • 芸術的抵抗と挫折 (昭和34年)
    • 転向論
    • 戦後文学は何処へ行ったか
  • 著者から読者へ 習熟と持続
  • 解説(月村敏行)
  • 作家案内(梶木 剛)
  • 著書目録

「転向論」

300-302

日本のインテリゲンチャがたどる思考の変換の経路は、典型的に二つあると、かんがえる。第一は、知識を身につけ、論理的な思考法をいくらかでも手に入れてくるにつれて、日本の社会が、理にあわないつまらぬものに視えてくる。そのため、思想の対象として、日本の社会の実体は、まないたにのぼらなくなってくるのである。こういう理にあわないようにみえる日本の社会の劣悪な条件を、思考の上で離脱して、それが、インターナシヨナリズムと接合する所以であると錯誤するのである。このような型の日本的インテリゲンチャにとって、日本の社会機構や日常生活的な条件が、理に合わない、つまらぬものとしてみえるのは、おそらく、社会的な要因からかんがえて、封建的な遺制の残存することによるためではない。むしろ原因の大半はこの種のインテリゲンチャの思考法に封建的意識の残像が反映しているためであり、その残像を消去するためにかれらは思考を現実離脱させているのに外ならない。わたしのかんがえでは、日本の社会が理にあわぬつまらぬものとみ、えるのは、前近代的な封建遺制のためではなく、じつは、高度な近代的要素と封建的な要素が矛盾したまま複雑に抱合しているからである。
 この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。このときに生まれる盲点は、理に合わぬ、つまらないものとしてみえた日本的な情況が、それなりに自足したものとして存在するものだという認識によって示される。それなりに自足した社会であると考えさせる要素は、日本封建制の優性遺伝的な因子によっている。佐野、鍋山の転向とは、これを指しているのではないか。わたしの見るところでは、日本のインテリゲンチャはいまも、佐野、鍋山の転向を嗤うことができないのである。理にあわぬ、つまらない現実としかみえない日本の社会の実体のひとつひとつにくりかえし叩きつけて検証されなかった思想が、ひとたび日本的現実のそれなりに自足した優性におぼれたときこそ無惨であった。…

303-304

 日本のインテリゲンチャがとる第二の典型的な思考過程は、広い意味での近代主義(モデルニスムス)である。日本的モデルニスムスの特徴は、思考自体が、けっして、社会の現実構造と対応させられずに、論理自体のオートマチスムスによって自己完結することである。文学的なカテゴリーにおいても、たとえば想像力、形式、内容というようなものが、万国共通な論理的記号として論ぜられる。或る場合には、ヴァレリーが、ジイドが、またある場合にはサルトルが、隣人のごとくモデルニスムスのあいだで論じられ、た易く捨てられるという風潮は、想像力、形式、内容というような文学的カテゴリーが論理的な記号としてのみ喚起されて、実体として喚起されないからである。実体として喚起されるならば、これらの文学的カテゴリーは、その社会の現実の構造と、歴史との対応なしには、けっして論ずることができないものなのだ。
 このような、日本的モデルニスムスは、思想のカテゴリーでも、おなじ経路をたどる。たとえば、マルクス主義の体系が、ひとたび、日本的モデルニスムスによってとらえられると、原理として完結され、思想は、けっして現実社会の構造により、また、時代的な構造の移りかわりによって検証される必要がないばかりか、かえって煩わしいこととされる。これは、一見、思想の抽象化、体系化と似ているが、まったくちがっており、日本的モデルニスムスによってとらえられた思想ははじめから現実社会を必要としていないのである。日本的モデルニスムスにとっては、自己の論理を保つに都合のよい生活条件さえあれば、はじめから、転向する必要はない。なぜならば、自分は、原則を固執すればよいのであって、天動説のように転向するのは、現実社会の方だからである。

  • 308 板垣直子「文学の新動向」『行動』1934 年9月号
    「後世の史家はかくであろう。──当時社会状勢の急激な変化につれて、大多数のプロ作家は転向したが、その代表的な者は、片岡鉄兵村山知義中野重治云々と、そしてなおその後にも、それらの転向者は、社会に適応したる方法で売文渡世して終ったと附言されることが予想される。云々」
  • 309 「板垣の罵倒が、爽快な印象をあたえるのは、[中野重治の小説]「村の家」の父親孫蔵のような平凡な庶民が、だれでもなしうる罵倒にほかならないからであり、それが日本封建制の深部意識からの典型的な批判とつながりうるからである。」