お買いもの:安丸良夫(1974/1999)『日本の近代化と民衆思想』

総特集:通俗道徳。
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日本の近代化と民衆思想 - 平凡社

第一篇 民衆思想の展開

  • 第一章 日本の近代化と民衆思想
    • はじめに
    • 一 思想形成をうながすもの
    • 二  荒村の精神状況
    • 三 「心」の哲学の意味
    • 四 「心」の哲学の人間的基礎
    • 五 精神主義の限界
    • 六 変革への立脚点
  • 第二章 民衆思想とイデオロギー編成
  • 第三章 「世直し」の論理の系譜──丸山教を中心に
    • はじめに
    • 一 「ミロクの世」観念の伝統
    • 二 富士信仰の発展
    • 三 丸山教の成立
    • 四 丸山教の世直し思想
    • おわりに

第二篇 民衆闘争の思想

  • 第四章 民衆蜂起の世界像──百姓一揆の思想史的意味 その1
    • はじめに
    • 一 幕藩制的抑圧状況
    • 二 蜂起の意識構造(1)
    • 三 蜂起の意識構造(2)
    • 四 高揚と鬱屈
  • 第五章 民衆蜂起の意識過程──百姓一揆の思想史的意味 その2
    • はじめに
    • 一 “悪”を措定するもの
    • 二 結集様式
    • 三 打ちこわしとオージー
    • 四 あらたな可能意識について
  • あとがき
  • 平凡社ライブラリー版 あとがき
  • 解説 オリエンタリズム批判としての民衆史と安丸良夫(T・フジタニ)

第一章「日本の近代化と民衆思想」

1-2「荒村の精神的状況」
  • 49「先生ワルカイナ 御祝言サヘンジャナイカ 相手ハミツケレン」
1-3「「心」の哲学の意味」
  • 52 「以下の論述では、このてんを通俗道徳の実践主体の構造=実践の論理にそくして考察したい。」

構造を云々するときには、併せてその要素についても述べていただきたい。

  • 56 「金光教の開祖川手文治郎によれば、日柄や方位の問題はじつは「神の不在」をうかがう人間の心の欲や我がままの問題にほかならない。だから、心を改めさえすれば、日柄や方位はすこしも気にしなくてもよい。」
1-4「「心」の哲学の人間的基礎」
  • 64 「「心」の哲学は、極度に唯心論的なものであったために、対象的世界の客観的認識や変革においては微力だったが、こうした自己変革の論理としては、きわめて強力だった。「心」の哲学を世界観的なよりどころとすることによって、広汎な民衆が民俗的世界の生活習慣を克服し、禁欲的な生活規律の樹立へとむかった。そこには、きわめて膨大な人間的社会的なエネルギーがこめられていた。」
  • 老農
  • 故老
  • 世間師
1-5「精神主義の限界」
1-6「変革への立脚点」
  • 84に「自己責任」なる語が。
  • 西田天香
  • 88 「近世後期から明治にかけての民衆的な立場からの社会批判は、儒教道徳や通俗道徳の純粋化という観点からなされることが多かった。ごく一般的にいって、もともとは支配階級のイデオロギー的武器である儒教キリスト教などは、その教義の理想主義的側面を純粋化して支配階級の現実に適用してみれば、広汎な民衆に批判の武器をあたえるものだった。近代社会系世期の民衆闘争の世界観的背景は、すべてそうした前近代思想の純粋化という形態をとった。」
  • 丸山教 - Wikipedia

あとがき

解説──オリエンタリズム批判としての民衆史と安丸良夫(T・フジタニ)

「自発的で単一的な主体」か「複数のアイデンティティをつうじて複合的に変容できる主体性」か。──これが1999年か、という感じのフーコー偉い論であった。つらい。