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こんごもどうぞごひいきを。
- 作者: 前田泰樹,水川喜文,岡田光弘
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2007/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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こんごもどうぞごひいきを。
これでおいらもすてきな奥さん:
タイトルがすごい....
本が出版されました。保育園民営化について、保護者・子どもたちを引き渡す公立園保育士・受託する民間園保育士の三者の立場から、それぞれの思いをまとめたものです。僕が昨年7月25日に裁判所に提出した陳述書が、保護者の思いを代弁するものとして掲載されています。出版にあわせて、加筆修正しました。
練馬の保育園民営化裁判追っかけ隊
保育園民営化に直面した当事者らが、具体的にどうすべきか、どうしたかといったノウハウ的なことではなく、もっと根底にある「思い」をもって編まれた本です。新書版のささやかなものですが、ぜひ読んでいただきたいと思います
おなじ出版社からこんな本も出ているようです。
現在、公立保育園の廃止や民営化、民間委託化が全国で進められています。このような流れに対して、全国で多くの保護者が「子ども達の最善の利益」や「子ども達の権利」を保障しようと立ち上がっています。
ほうんネット 公立保育園民営化問題 保護者の運動交流ネットワーク
しかしながら、こういった保護者の動きは、各自治体や各保育園単位に留まっているのが現状です。
公立保育園の民営化については、様々な考え方があります。「民間が運営するほうがお金もかからず、より良いサービスが受けられるのではないか」「子ども達を保育することは社会の責任だから公的な保育施設を維持すべきだ」「保育園に入りたいのに入れない。保育園をもっと増やすにはコストが安い民間に委ねるしかないのでは?」「公立だからと安心して入った保育園なのに、途中で民営化するのは納得できない」などなど、様々な意見や考え方があります。
このように考え方が違うのは当然です。ほうんネットはこういった考えや意見を互いに尊重しながら、情報交換と相互援助を中心にした保護者のネットワークをつくり、ともに学び、ともに考えることを目的にしています。
この目的の実現に向けて、実際に公立保育園の民営化問題に係わってきた保護者や有識者、保育関係団体が世話人となり、2007年3月4日、ほうんネットを設立しました。
読了 ──と思ったら まだ(五)があるらしい。
でも PDF はあがってないよ!
なんとかして〜>中のひと
ディルタイのとこで話おわっちゃったよ。
再訪。http://d.hatena.ne.jp/contractio/20060729
ヴィルヘルム・ディルタイ―精神科学の生成と歴史的啓蒙の政治学
「記述的分析的心理学論考」(1984)をめぐって:
この論考は、
(精神現象を なんらかの心的要素の構成から説明する)構成的・説明的心理学を批判して
内的経験の全体的な分析と記述に取り組みましょう
と唱えたものでしたよ。
さて、この『記述的分析的心理学』に対しては、哲学と心理学の両方から批判がなされた。
- 一つは、新カント派のヴィンデルバントによる批判である。
- もう一つの批判は、ベルリン大学の実験心理学者エビングハウスが『説明心理学と記述心理学について』(1895)という論文の中でおこなったものである。
- 最後に、公に発表されたものではないが、ディルタイの友、ヨルクによる批判がある。
これらの批判の内、エビングハウスの批判は、心理学という言葉の意味についての相違によって生み出されたところが多く、われわれの考察にとってあまり重要ではない。ただし、この批判を受けてからディルタイは、誤解をさけるために心理学という表現をあまり使用しないようになるということには注意が必要である6。[p.230-231]
「誤解をさけるため」? しかしどういう誤解???
Wilheim Dilthey: The Critique of Historical Reason
[あとで読む]
via 中のひと
- 期日:2008年9月20日(土)
- 会場:筑波大学大塚キャンパスG206教室(交通:東京メトロ 丸ノ内線 茗荷谷駅下車徒歩3分)
- 13:30〜14:00 第20回定例総会
- 14:30〜17:30 第20回定例研究会
社会学的告知ワークショップ:東アジアにおける公共性の生成と変容
報告:
【企画趣旨】
今年の筑波社会学会大会のワークショップは「東アジアにおける公共性」をテーマにする。特にここ数年、東アジアの隣国についてのニュースに接しない日はないといってよいほどで、その情報量の激増には驚くばかりである。日々マスメディアやインターネットで、偏見やステロタイプの単純再生産とさえいえるようなイメージも流通しているが、その理由は、情報量が少ないからでも、逆に多いからでもなく、接触面の増大という変化のただなかにあることからくるものなのだろう。
だから今回の企画は、たんに地域としての東アジアを考えようというだけであくまでもむしろ「東アジア」という視線をつくりあげる私たちの社会学的な想像力について考えようというものである。つまり、東アジアに接していこうとする我々の世界観や視線じたい(とその変化)を扱おうと考えているのだ。その手がかりとして、東アジアの社会性(公共性や共同性、ナショナリズムや消費文化)が様々なかたちで見え始めているのだとすれば、それぞれの領域の特性に応じて、それらをもう少し丁寧に考えてみたい。ヨーロッパ起源のそれら社会学用語がどのように溶解したり再生したりしているかが見物である。
当日は、3人の方に報告をお願いしている。まず、赤江達也氏には、台湾における国家追悼施設と日本統治の残像の関係、そしてその靖国神社との関連の考察という極めて繊細な事例について論じていただく。次に陳〓蓉氏には、現代台湾における宗教非営利団体とも呼ぶべき慈済基金会のメンバーが着用する制服(ユニフォーム)とその社会的機能を通して、同基金会の組織イメージ戦略が現代台湾社会と「選択的な親和関係」を取り結んでいるさまについて論じていただく。そして最後に、思想/社会運動としての中国ナショナリズムの歴史を、中国の都市空間の構成/再構成との関係に即して考察している穐山新氏に報告していただく。
また、これらの報告に対するコメンテーターとして、東アジア(特に台湾・中国)についての/におけるイメージの生成やマスメディアの動態に関して数多くの業績のある本田親史氏に登壇していただき、論点を与えていただくことになっている。
東アジア(特に中国や台湾)を題材としつつ、公共性や共同性、ナショナリズムや(マス・)メディアをキーワードにすることで、私たちの社会学の想像力やリアリティを反省的に再考する、というのが本ワークショップの趣旨である。※〓は、「女」へんに「几」「一」「巾」
- 連絡先:筑波社会学会事務局(tss[at]social.tsukuba.ac.jp)
※会員であるか否かを問わず、ご参加いただけます(参加費無料)。