ディルタイ的「心理学」に対する三つの批判

再訪。http://d.hatena.ne.jp/contractio/20060729

ヴィルヘルム・ディルタイ―精神科学の生成と歴史的啓蒙の政治学

ヴィルヘルム・ディルタイ―精神科学の生成と歴史的啓蒙の政治学


「記述的分析的心理学論考」(1984)をめぐって:

第五章 歴史的理性批判と啓蒙の精神──後期ディルタイアポリア(1897-1911)──

一 記述心理学への批判と反批判──中期末ディルタイの課題──

この論考は、

  • (精神現象を なんらかの心的要素の構成から説明する)構成的・説明的心理学を批判して
  • 内的経験の全体的な分析と記述に取り組みましょう

と唱えたものでしたよ。

 さて、この『記述的分析的心理学』に対しては、哲学と心理学の両方から批判がなされた。

  • 一つは、新カント派のヴィンデルバントによる批判である。
    • 彼は『歴史と自然科学』(1894)という講演において、周知のように、内的近くに基づく精神科学という考え方や、自然科学的心理学と区別される記述心理学というディルタイの二分法を否定し、学問は内容や対象によってではなく、方法論によってのみ分類され得るとし、「法則定立的(nomothetisch)」な自然科学的学科と「個性記述的(idiographisch)」な歴史的諸学科とに区別をし、自然科学は「自然法則という普遍的なもの」を、歴史学は「形態における個別的なもの」を探求すると述べた。
  • もう一つの批判は、ベルリン大学実験心理学エビングハウスが『説明心理学と記述心理学について』(1895)という論文の中でおこなったものである。
    • エビングハウスは、ディルタイが ヘルバルトから現代の実験心理学までを一括して説明心理学に含めるなど、現代の心理学の発展状況をよくわきまえていないと難じ、自然科学的心理学はディルタイの記述心理学の課題をすでに成し遂げようとしていると論じた。
  • 最後に、公に発表されたものではないが、ディルタイの友、ヨルクによる批判がある。
    • ヨルクは、ディルタイが追求しようとする歴史的なもの、一回限りの個性的なものは、ディルタイの心理学的把握という方法それ自体によって傷つけられているのではないかと問いかけた。

 これらの批判の内、エビングハウスの批判は、心理学という言葉の意味についての相違によって生み出されたところが多く、われわれの考察にとってあまり重要ではない。ただし、この批判を受けてからディルタイは、誤解をさけるために心理学という表現をあまり使用しないようになるということには注意が必要である6。[p.230-231]

6 エビングハウスの批判は様々な余波をもたらした。ディルタイは、W. ジェームズらに国際心理学会によばれていたのだが、エビングハウスと席をともにすることになるこの学会への出席をとりやめ、さらに95年以後、心理学の講義もとりやめる。フッサールは このエビングハウスの批判のために、ディルタイの『記述的分析的心理学』を読まずに済ませたという。Vgl. Ermarth, 1978, 185.

「誤解をさけるため」?  しかしどういう誤解???


ディルタイ全集〈第3巻〉論理学・心理学論集

ディルタイ全集〈第3巻〉論理学・心理学論集

Wilheim Dilthey: The Critique of Historical Reason

Wilheim Dilthey: The Critique of Historical Reason


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  • ヴァイス「生の理解と理解社会学」(森岡弘通訳)『思想』815(1992/05)