本日の通勤読書は電車の中で広げるのが恥ずかしいタイトルの雑誌。
Togetter - まとめ「思想史の中の history と theory、ときどき nature...」 でodgwさんが紹介していたもの。
- 出版社/メーカー: 理想社
- 発売日: 2001/01
- メディア: 単行本
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- 収録論文:http://bit.ly/cX1GXw
参照文献たち
鏑木 政彦「精神科学と共通感覚──ディルタイ精神科学の政治的地平」
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出汁につかったフォルラートのターゲット(=「政治的なもの」) と 論文本論との距離が遠すぎて「考えオチ にもほどがある」みたいなことになっておりますな。
仮に(著者が紹介している)フォルラートがいうように、上掲の両極的分裂が「民主的な政治空間の創出」を阻んでいるのだとして──まぁこれは穏当かつ常識的な主張に聞こえるが──、またディルタイがその両極に対してきちんと距離をとっていたことが示されたとしても、それでもって 民主的な政治空間の創出に資する 固有に政治的なもの の位置が積極的に示されたことになるわけではないから。
議論がこうなってしまうのは、共通感覚論の「政治哲学的」含意──だと著者が考えているだろうもの(ただし読者には直接には見えない)──に頼りすぎているからではないのかな? まぁ「いかにも哲学的な」議論だけど、──と言ったら意地悪かしら。
議論がこうなってしまうのは、共通感覚論の「政治哲学的」含意──だと著者が考えているだろうもの(ただし読者には直接には見えない)──に頼りすぎているからではないのかな? まぁ「いかにも哲学的な」議論だけど、──と言ったら意地悪かしら。
ところで はてなに教えられる衝撃。私は マックリール『ディルタイ―精神科学の哲学者 (叢書・ウニベルシタス)』を読んでいるらしい件:id:contractio:20080910#p2。まったく覚えてないぞ。
伊藤 直樹「自然科学的心理学とディルタイ──19世紀心理学におけるディルタイ心理学の位置」
[...] 19世紀心理学史をきわめて大まかに言えば、19879年を画期とする「科学としての心理学」の成立史、あるいは「ソウルからマインドへ」(E.S.リード)の歴史として物語ることができる。こうした19世紀心理学の流れを、あえていくつかに分類してみれば、おおよそ次のような5つのグループをあげることができる2。
- ヘルバルト(1776-1841)およびその学派
- W.ヴント以前の実験心理学者たち。ヨハネス・ミュラー(1801-1858)、その弟子ヘルムホルツ(1821-1894)ら。「精神物理学」のG.T.フェヒナー(1801-1887)。
- コント(1798-1857)、J.S.ミル(1806-1873)、スペンサー(1820-1903)などの英仏実証主義者たち。
- W.ヴント(1832-1920)を代表とする実験主義者たち。
- ブレンターノ(1838-1917)、シュトゥンプ(1848-1936)、エーレンフェルス(1859-1932)などの、後にゲシュタルト心理学へと連なる一派。
さきに述べた科学的心理学の成立ということを一つのメルクマールとすれば、はじめの [1][2][3] の世代と後の [4][5] の世代との間に線引きをすることが出来るだろう.ディルタイ(1833-1911)自身も、世代的には [4][5] に属する。
注2に挙げられている文献:
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A History of Experimental Psychology.
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牧野 英二「実在性の復権に向けて──ハイデガーによるディルタイの抵抗概念批判をめぐって」
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的場哲朗「ゲオルク・ミッシュのハイデガー批判──“世紀の論争”を追跡する」
あとでなんか書く。