『理想』666:特集 ディルタイと現代

本日の通勤読書は電車の中で広げるのが恥ずかしいタイトルの雑誌。

理想 (第666号)

理想 (第666号)



参照文献たち

鏑木 政彦「精神科学と共通感覚──ディルタイ精神科学の政治的地平」
  • フォルラート「ドイツ語圏における政治的なるものの哲学的再構成」
ゲルマニスティクの最前線 (歴史と社会14)

ゲルマニスティクの最前線 (歴史と社会14)

〈(原理獲得済みとの想定のもとで)政治的現実に向かう/最高原理から出発することで政治を捉え損なう〉
遠近法主義の哲学―カントの共通感覚論と理性批判の間

遠近法主義の哲学―カントの共通感覚論と理性批判の間

カントとディルタイ
  • ヒンスケ『人生経験と哲学』平田俊博ほか訳、以文社、1993
経験の肥沃な低地。
現代心理学の歴史

現代心理学の歴史

エビンスハウスの記憶論。

出汁につかったフォルラートのターゲット(=「政治的なもの」) と 論文本論との距離が遠すぎて「考えオチ にもほどがある」みたいなことになっておりますな。

仮に(著者が紹介している)フォルラートがいうように、上掲の両極的分裂が「民主的な政治空間の創出」を阻んでいるのだとして──まぁこれは穏当かつ常識的な主張に聞こえるが──、またディルタイがその両極に対してきちんと距離をとっていたことが示されたとしても、それでもって 民主的な政治空間の創出に資する 固有に政治的なもの の位置が積極的に示されたことになるわけではないから。
 議論がこうなってしまうのは、共通感覚論の「政治哲学的」含意──だと著者が考えているだろうもの(ただし読者には直接には見えない)──に頼りすぎているからではないのかな? まぁ「いかにも哲学的な」議論だけど、──と言ったら意地悪かしら。


ところで はてなに教えられる衝撃。私は マックリール『ディルタイ―精神科学の哲学者 (叢書・ウニベルシタス)』を読んでいるらしい件:id:contractio:20080910#p2。まったく覚えてないぞ。

伊藤 直樹「自然科学的心理学とディルタイ──19世紀心理学におけるディルタイ心理学の位置」

[...] 19世紀心理学史をきわめて大まかに言えば、19879年を画期とする「科学としての心理学」の成立史、あるいは「ソウルからマインドへ」(E.S.リード)の歴史として物語ることができる。こうした19世紀心理学の流れを、あえていくつかに分類してみれば、おおよそ次のような5つのグループをあげることができる2

  1. ヘルバルト(1776-1841)およびその学派
  2. W.ヴント以前の実験心理学者たち。ヨハネス・ミュラー(1801-1858)、その弟子ヘルムホルツ(1821-1894)ら。「精神物理学」のG.T.フェヒナー(1801-1887)。
  3. コント(1798-1857)、J.S.ミル(1806-1873)、スペンサー(1820-1903)などの英仏実証主義者たち。
  4. W.ヴント(1832-1920)を代表とする実験主義者たち。
  5. ブレンターノ(1838-1917)、シュトゥンプ(1848-1936)、エーレンフェルス(1859-1932)などの、後にゲシュタルト心理学へと連なる一派。

さきに述べた科学的心理学の成立ということを一つのメルクマールとすれば、はじめの [1][2][3] の世代と後の [4][5] の世代との間に線引きをすることが出来るだろう.ディルタイ(1833-1911)自身も、世代的には [4][5] に属する。

注2に挙げられている文献:

魂(ソウル)から心(マインド)へ―心理学の誕生

魂(ソウル)から心(マインド)へ―心理学の誕生

A History of Experimental Psychology.

A History of Experimental Psychology.

心理学史 (1962年)

心理学史 (1962年)

心理学問題史 (1968年)

心理学問題史 (1968年)

心理学史―心理学的思想の主要な潮流

心理学史―心理学的思想の主要な潮流

牧野 英二「実在性の復権に向けて──ハイデガーによるディルタイの抵抗概念批判をめぐって」
ディルタイの「現象学的」側面について。
自由の経験 (ポイエーシス叢書)

自由の経験 (ポイエーシス叢書)

ハイデガーによる「存在についてのカントのテーゼ」解釈における「措定」と「定立」の差異(の無視)の帰結。
時間概念の歴史への序説 (ハイデッガー全集)

時間概念の歴史への序説 (ハイデッガー全集)

25節。ディルタイの「実在」および「抵抗」概念について。
ハイデッガー カッセル講演 (平凡社ライブラリー)

ハイデッガー カッセル講演 (平凡社ライブラリー)

ディルタイ『実在性論文』へのコメント。ただし「抵抗」概念への言及はなし。


ハイデガー他者ないよねー。ディルタイは抵抗に注目しててえらいよねー」的な何か。

的場哲朗「ゲオルク・ミッシュのハイデガー批判──“世紀の論争”を追跡する」

あとでなんか書く。