高橋吉文(2011)「Hypotheses fingo」

またすごいものを読んでしまった。
50頁の大論文です。今年度最大の収穫といってよいでしょう。

  • 高橋吉文(2011)「Hypotheses fingo(仮説を虚構する) : ルーマンの不確定性三変化 その1」、『メディア・コミュニケーション研究』 61、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院
  • 1.荒海や
  • 2.プラトンイデア
  • 3.洞窟の比喩
  • 4.リスク社会
  • 5.リスク/危険/破局
  • 6.危険Gefahrの両義性
  • 7.第二次オーダーへの回首
  • 8.多重隠蔽の必然性
  • 9.根拠なきを学び、広げよ
  • 10.社会をシステムとして見る系譜
  • 11.破局の世界―― 盲目のディオニュソス
  • 12.ルーマンの〈システム/環境/世界〉
  • 13.「現実の絶対主義」と、抽象衝動の反抗
  • 14.ありそうになさの公理
  • 15.Hypotheses fingo(仮説を虚構する)

石戸(2010)「排除社会における教育原理の分化と接合」/本田(2011)「強固に残るボーダー」

あとこれも読んだ。

  • 石戸教嗣(2010)「排除社会における教育原理の分化と接合:労働の変化に対応する教育概念のシステム論的再編(〈特集〉「教育」概念の再検討)」、『教育學研究』77(4)、日本教育学会
  • 本田由紀(2011)「強固に残るボーダー:自閉化する日本の学校教育に対する社会システム論からの示唆(〈特集〉教育・福祉・労働-ボーダーレス化の中での教育学の役割)」、『教育學研究』78(2)、日本教育学会

はなしわかんなかったんでルーマンのと、あと参照されてる論文も読んでみたけど、わからんものはわからんわね。

ルーマンの論文にありがちなこと:説明してるつもりらしいが理由になってない。

田中論文 p. 72 におけるルーマンからの引用:

「コード化のために必要とされる明確でまとまりのある意味世界が教育システムに欠如していることが、教育システムに固有な象徴的に一般化したコミュニケーション・メディア(…)が発展しなかったことの理由である。」(Luhmann 1987b: 185)

で? 教育領域には なぜ「まとまりのある意味世界が欠如」してるんですか?

教育関係の文献

みなさま(@t0anchan @mnaoto @t9ma46int)に ご教示いただいたものをとりあえずメモ。